ささやかな人生

家の窓から隣の池が見えます。相馬のお城の中堀(内堀と外堀をつなぐお堀)です。福島県の指定史跡です。

この池が家を新築する際の大きな障害になっています。軟弱地盤をどのようにして、克服するかということです。

先日、ハウスメーカーを通じて、外溝工事会社に、擁壁が絶対倒れたり傾いたりしない

工事をお願いしたところ、なんと1440万と見積もりが出ました。

およそ10m下から砕石を積み、30センチごとにつき固め、2メートル下からコンクリートを敷いてそこにL型擁壁を設置するというのです。なるほどそれなら池の水の影響を受けないと思います。しかし、1440万ですよ。この金額は、相馬中心部で坪単価10万~15万ですから約100坪買える値段です。いやいや、言葉が出ません。とても出せる金額ではありません。

そこで、どうするか。安全性を下げてもここに建てるか、私の持っている不便なところの土地に新築するか、考えどころです。

 

このお堀の上を、桜の花びらが横に流れていきます。風のなかった昨日は、ちらりほらいはらりと、やはりはなびらが落ちていきました。

 

この月曜日から昨日まで4日間、2歳の孫と二人、桜を見に行きました。保育園に行く前のちょっとした時間つぶしです。

♪あるこーあるこーわたしはげんき、あるくのだいすき、どんどんゆこう・・♪

♪おてて、つないで、のみちをゆけーば、みんなかわいーことりになって♪

2人で手をつないで、歌を歌っていきます。犬や車が来ると抱っこです。

蓮池(お城の本丸の下の大きい池=内堀、かつて一面蓮がありました)の周りも桜です。池には花筏ができています。

蓮池の脇の坂道を登っていきますと、二の丸球場です。名前の通り、お城の二の丸を球場にしたものです。孫と二人、観覧席に座って桜を見ます。時々花びらが二人に降りかかります。ほかに誰もいません。この美しい風景を二人占めです。

私の人生の中でも第一級の幸福な時間でしょう。ささやかかな人生の喜び。


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♪花びらが散った後の、桜がとても冷たくされるように

誰にも心の片隅に見せたくないないものがあるよね

だけど人を愛したら誰でも心の扉を閉め忘れては

傷つき傷つけて引き返すことのできない人生に気が付く

(風「ささやかなこの人生」伊勢正三作詞・作曲)

 

近頃、こんな歌がしきりに思い出されます。ただ単に、散る桜に触発されて思い出した歌ですけれど、あらためて歌詞をたどると、心に痛みを覚える部分があります。

つながりのない歌詞ではありますけど。

年を取るにつれて、取り返しのつかないことを、繰り返し思い出すことが多くなるような気がします。・・・恋の暴走。

 

 

私同様、2歳のこの子も、心の扉を閉め忘れて、傷つけあい、人生は引き返せないと思うことがあるのでしょうね。(私はどこまでこの子を見てることができるかな)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このひと月の出来事

いやいや、これは馬鹿をやってました。

 

ブログが書けないのであきらめてました。初めは、何の間違いか(勿論私の操作のです)、すべてが英語で表示されるようになりました。これはまずいと、日本語に直したのですが、その時から、ブログアップができなくなりました。いろいろ挑戦しましたが、回復しないので、娘が帰ってくる5月まで、お休みと考えてました。

 

どうやら、そもそも、はてなブログに送信してなかったようです。今、ブログが書けるようになりました。(一部英語表記は直ってません)

 

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前のブログからちょうど一か月経ちました。相変わらず足は痛みを感じますが、徐々に薄らいでいるようです。尤も歩く距離が少なくなったことが原因かもしれません。

畑の仕事はやや遅れ気味ですが、例年通り進んでいます。2月に植えたジャガイモは、殆ど芽を出しました。

 

・・・・・ 

さーてと、私には、このひと月、何があったかな、っと。

6強地震を目の当たりにして、この家を放棄することがほぼ確定しました。(修理しても無意味)。となると、場所は?「やっぱり現在地に」との共通気分が醸成されつつあり(それは同時に3世代同居の継続)、今は、ハウスメーカー2社と交渉中で、外溝の工法(隣が池で軟弱地盤)の問題、お金の問題が隘路です。これをクリアーしないと「ご破算で願いましては」となる可能性もあります。

 

スタンデイングは通常通り継続中。

巨大メガソーラー建設は、会社側も私ら反対運動側も動きなし。

あたらしい活動:お城内の石碑復旧(地震で倒壊)のため、相馬市9条の会として、市役所等へ陳情しました。

 

この石碑は、明治の自由民権運動羽根田永清(=相馬家元家臣、獄中死)の功績をたたえたものです。鈴木安蔵(相馬中学出身、現憲法に生かされている「憲法研究会」憲法草案の起草者)も、この石碑を見て中学に通ったはずです。彼は、治安維持法違反の獄中で、憲法学に覚醒し、出獄後、明治の自由民権運動(植木枝盛等の私擬憲法も)を研究して、それを戦後、「憲法研究会」の憲法草案に生かしました。それをGHQ憲法草案作成委員が参考にしたわけです。そんな関係で、護憲派の相馬市9条の会も、この羽根田さんの石碑の復旧を熱望しています。

 

読書は少しました。

期待した「月のしずく」(浅田次郎)、志水辰夫「夜去り川」は、いまいちでした。

SPYBOYさんがいつか触れていた阿川弘之「山本十六」「井上成美」について感想を書いておきます。

(1)著述方式が、周囲の人物の証言により、主人公をクローズアップする方式が主なので、エピソードが多く、人物の活写に成功している。一方、そのため、時系列でなくなり、やや分かりにくい。

(2)この2作で、山本も井上も生育環境や成長過程にほとんど触れておらず、通常の偉人伝とは趣が違う。

(3)私の関心は、なぜ太平洋戦争が起きたか、それは防ぎ得なかったものか、ということである。故に日独伊三国同盟に反対した米内・山本・井上の3羽ガラスに興味があった。理性ある海軍中枢(山本たち)の合理的判断(というか、まともに考える人の常識)である「対米戦争は無理」石油・鉄の米国依存、国力の差)という常識がなぜ通らなかったか、ということである。しかし私は、この2冊の本では、分からなかった。

(以上6日)

 

(4)山本の逆立ち趣味やばくち好き、井上の兵学校長時代の英語教育や戦後の窮乏生活・英語塾は、面白かった。

(5)海軍中枢が結構欧米に留学・駐在体験があるのを再認識した。であるなら、欧米の強さを知っていながらなぜ、戦いを挑んだか、という疑問が再びわく。

(6)海軍の人事異動の多さ、国益よりもおのれの出世・保身重視・派閥・卒業年次とその成績重視→これではまともな仕事は出来ない。

(7)2・26事件の時、海軍が「反乱軍」と戦う方針もあったのにはびっくり。軍艦の大砲の照準を国会にあわせてたというのだからねえ。この時陸・海軍が武力衝突していたら、その後の歴史はどうなっていたかな。

 

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この阿川作品に関連し、文春新書「なぜあの戦争に負けたか」という本を読みました。半藤一利・保坂正康・中西輝政加藤陽子戸高一成福田和也のテーマ座談会(と各人の小論)です。勿論なぜ日本はあの戦争を起こしたのか、防ぐことはできなかったのか、という疑問にせかされて読んだわけです。しかし、この疑問に対して、この新書で得たものも特にありませんでした。

ただ戸田の「負けるべくして負けた」という言葉が頭に残りました。そのほか、中西の戦争呼称で「大東亜戦争」という呼び方に固執することも印象に残りました。中西の「

特攻隊は戦後への遺産とか、あの戦争も戦後に貢献している」という発言も印象に残りました。それは、多分軍国日本の強さを世界の国が恐れるのが財産とかいう主張でしたが、変な理屈でした。以上の読書は、すべて図書館から借りたもので、手元にありませんので確認できません。

 

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 なぜ日本はあの戦争を起こしたのか、防ぐことはできなかったのか、の答えを求めて、

大学時代に読んで目を覚まさせられた、家永三郎「太平洋戦争」を再読しています。

やっぱり今でも名著です。家永の、歴史に対する真摯な態度に改めて感銘を受けます。また彼の勇気に力づけられます。論理構成も説得力があります。

近頃の戦争に関する本の参考文献に家永「太平洋戦争」というのがないのが不思議です。彼の歴史解釈が常識になったからなのでしょうか。そうは思えません。

私もボケないうちに、家永三郎「太平洋戦争」に関する感想をまとめてみたいと思っています。(7日)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♪♪一つや二つじゃないの、古傷はー♪♪

近頃こんな歌の一節が浮かびます。

 

昨年8月に痛めた左足が1月以来、どうも疼くのです。11月や12月には、痛くなかったのに。

 

そのうえ悪いことに、2月16日早朝(震度6の地震から3日目)散歩の途中、左足が肉離れを起こしました。滑ったので転ばないよう思いっきり頑張ったせいです。やっとの思いで家に帰ってきました。

 

2月23日、整形外科を訪れ、見てもらいました。

医者「おかしいな、左足の骨折、今頃痛くなるのは変だ。」

私「寒くなって、前に痛めたところが痛くなるということはないですか」

医者「絶対ないとは言えないけどねえ。いったん治ったのだからね」

私「この肉離れが影響しているということはないですか」

医者「絶対ないとは言えないけど、まずないな」

 

 

結局、左足は腱鞘炎という診断で湿布薬をもらってきました。

 

 

「古傷が痛む」って良く言うじゃないですか。それだと思うんだがなあ。

 

 

「散歩こそわが命」の私にとって、足が痛いのは、・・痛い(笑)。距離を大きく減らし歩いていますが、まあ面白くありませんね。何せ、歩くと痛いから。

 

痛いといえば、家の傷も痛い。

 

10年前の東日本大震災で壊れた(当時半壊という判定)基礎・外壁・内側の日本壁・クロスが同じように壊れました。隣地が池なのが響いています。震災2年後に、5百万弱をかけて直したのですがねえ。同じような場所が同じように壊れました。

 

家も、古傷か痛いと泣いてるかもね。

 

さてどうしようか。5百万かけて直しても、また地震だとおなじことになります。

 

 

こうして、現家屋解体・新築が現実味を帯びてきました。しかし、ほんとに大ごとになってしまいました。若夫婦と真剣に話し合ってます。もし新築となれば、メーカー選定、間取り・外溝(隣が池が難関)・内装・装備の決定、ものの処分・移動、借家、借金の算段、いやー、大変です。

 

物の処分については、

昨年の義父と伯父の死、今年に入って弟の死と身近な人の死が続いて、自分の死も意識され、断捨離を本格的に考えていた所でした。

 

全集類(世界大百科・ライフの自然シリーズ・世界の大思想・柳田国男全集)は、処分できました。単行本・文庫本・新書類は、全盛期に比べて4分の1以下に減ってはいますが、もっともっと減らさなきゃと思ってます。

 

衣服類は元々必要な分しかありません。それでもあと30%くらいは捨てられそうです。

 

 

自分が作成した仕事関係の書類は、70%~80%捨てました。この処分では、心痛むことが多く思い出されました。

 

あーすりゃよかった、あーすべきじゃなかった、いうべきじゃなかった、気づかなかった、などです。特に他人を傷つけた言葉は、痛いです。もはやとりかえしがつきません。仕方ありません。

 

 

心無き言葉の射矢を消すよしもがな(拙作)

 

これも古傷です。

 

 

♪♪一つや二つじゃないの、古傷は~♪♪(都はるみ大阪しぐれ」)まったくねえ。

 

 

修証義・第4章・発願利生・愛語にこうあります。(日本語のお経)

「徳あるは誉むべし、徳なきは憐れむべし。・・・面(むか)いて愛語を聞くは面を喜ばしめ心を楽しくす。面(むか)はずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず・・・」

 

あーあ、さっぱりだったな。俺は。

 

 

 

 

最後に残るのは、親しい人たちからの手紙かなあ。これは捨てません。

 

 

すでに鬼籍の人のもあります。母親、弟、H君。俺の死とともに彼らも消えるわけです。勿論消えるのは、私の(思い出の中の)彼等ですけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めての避難所経験

昨晩とろとろと眠りに入らんとしたとき、ゴーと地鳴り。続いて強烈な揺れ。私は妻の方へ覆いかぶさった。その時タンスの上段、続いて中段が落ちてきた(多分)。かろうじてわが左肩をかすめて倒れた。ものが落ちる大音響とともに、さらに揺れ続けた。妻は「お父さん助けて」と言い続けた。

 

ようやく揺れが収まった。が、真っ暗闇である。

 

イヤーこりゃー大ごとだ。

 

子供たちと孫が心配となった。「おーい大丈夫か」娘「大丈夫」と安どの返答。

 

婿がスマホで照らしてくれて、タンスその他を乗り越えて脱出した。一階の居間も無茶苦茶。足の踏み場もないという言葉、そのままである。

 

隣近所の人たちも出てきた。アレー、東隣りの家は、電気がついている。しかし西の方面は、真っ暗である。ちょうど俺たちのとこらが境目である。くそー。

 

われらは、靴を履いて、壊れたグラスなどを片づけ始めた。が、寒い。孫は母親に抱っこして半睡状態である。

 

かたづけはきりがない。暗い、寒い。その上に寝るところがない。そこで避難所で一夜を明かすこととした。コロナの心配は一応無視だ。勿論マスク姿。車で数分の体育館である。テントが設営されており、手指消毒・体温測定ののち入場。午前1時ころだろうか。

 

石油ストーブは、ガンガン焚いているが、寒い。

何せ、なんというのか、薄っぺらなすべり止めシートと薄っぺらな毛布らしきもの一枚である。床から冷える。

 

「伏庵の曲庵の内にひた土に」(山上憶良貧窮問答歌」)という古歌があるけれど、ひた床にである。(笑)寒い。

 

まあ、二つテントをもらったので、父母から妻子まで、一家雑魚寝の奈良時代の農民よりは良い。家からも持ってきた毛布一枚をひっかぶって寝ようとするが、寒いうえに、小さな子たちが走り回り、大人の話し声も聞こえて、なかなか寝付かれない。

 

2回ほど短く寝て、起きたのが午前5時ころか。

 

若者たちが、寝てる孫を置いて、コンビニで朝食を仕入れて来た。(有難い)ついでに家に立ち寄ってみると、通電しているとのこと。

 

しめた。ご飯は家で食うことにして、早速帰宅した。

 

改めて明るい中で見ると、まあ見事に混乱・乱雑・雑然・ぐちゃぐちゃ。めちゃくちゃ。ごみ屋敷。

 

今晩寝るところだけは確保しようということで、4人で片付けに全力を尽くした。

おかげで何とか今夜は自宅で寝られることになった。

 

明日もまた片付けである。若夫婦は仕事。孫は保育園。老夫婦二人で頑張るか。

保育園は偉い。

 

東日本大震災原発事故・一昨年秋2回の洪水、そしてこの地震震度6強という。大震災の時の6弱より強烈である。

 

大震災の頃良くいわれた、日本列島は不安定な時期に入ったというのが当たっているかもねえ。

 

 

ということで今日は、くたびれて泥のように眠るだろう。なぜ泥のようになんて言うのかな。・・・まあいいや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弟よ、お疲れさん

 勝手なお願いですが、

ブログ知人の皆さま、今回は、コメントは「無し」でお願いします。

お読みいただくだけで、さいわいです。星印は欲しいなあ。

 

「2月3日、4日記す」

わが弟が1月31日亡くなった。

トラックの運転手をしていたが、5年前運転中に脳梗塞発症。一命をとりとめ自宅療養中であった。心筋梗塞。享年64。

 

京都の女性を嫁にし、一姫二太郎を得た。二人ともわが娘たちと同学年。

子供たちが小さいころ宮城県亘理町に住んでいて、毎週のように行き来した。

気弱すぎると思うほど、優しい子供たちあった。可愛かった。

その息子は、中学時代から不登校になり、高校には合格したものの1週間で退学した。

彼は、ようやく20代後半から働きに出るものの、長続きしない。

 

脳梗塞の病床に見舞った時、「俺が死んだら息子どうなるんだろ」と言っていた。

8050問題。

 

彼の苦労の最大の種は、奥様であったろう。愛憎激しい奥様である。人付き合いの難しい女性である。水俣の男と取り合って、弟が獲得した女性だ。

 

弟は、名の知れた大会社に就職し、その会社の小さな事業所の副所長になったが、40代末に辞めた。奥様が彼の浮気を疑って(本当か?笑)、会社の上司にまで訴え出たのだ。そんなこんなで居づらくなってやめた。当時本人もノイローゼ気味だった。

 

7年前、奥様は精神を病み、暴れて警察の御厄介になった。お医者には「もう2~30年前から病気だったのだと思う」と言われた。難しい奥様は、病気だったのだ。

 

弟よ、お前もいい加減な奴だった。

酒をいっぱい飲み、たばこもぷかぷか。俺は、さんざん言ったろう。「金がある時、貯めておけよ」と。お前は言った。「金は天下の回り物」。そんなはずないだろう。
「どこで野垂れ死んでも知らんぞ」と。「そりゃひどい」と、弟。

 

奥様の実家から遺産相続で土地をもらった時、その土地を売り払って、無駄遣いしたろう。お前は飲み屋、外車。奥様も宝飾品。衣服。あれ、外車は奥様だったかな。俺ももらった。昔流行ったセイコーの時計の復刻版だ。(悪いけど、俺はそう言う物に興味はない。・・しかしもう、これはお前の形見だなあ)ユニセフ?に40万寄付しただと。馬鹿か。

 

俺はさんざん言ったろう。「無駄遣いするなよ」と。

 

やがて奥様は高利の借金をし、二人で借金取りに追われたろう。馬鹿が。あれはいつ頃であったか。

 

たびたび俺も助けたけれど、

二人で穴抜け(けつぬけ)じゃ、どうにもならぬ。

 

 

 

見ろ。俺の言ったとおりになったろ。バーカ。

 

借家住まいで、年金暮らしの療養中。長男坊は非正規雇用。奥様病んで家庭内別居。

 

 

お前は若いころからお気楽な奴だった。

高校の頃、たばこを警察に見つかって、俺がもらい下げに行ったろう。

 

親父が60で死んで、俺が11万の手取りの中、3万を実家に送ってた。お前は大学浪人。2回目も失敗。それはいい。分からないのは次だ。母親から金をもらい、隣家の、一年下のF男と3泊4日の旅行に行ったろう。F男は名門大学に現役合格したのにさ。・・・バーカ。 

 

 

まあいいさ。お気楽な次男坊だ。

(そうだなあ、そうはいっても、俺もお前と遊んでたのしんだなあ)

 

 

「2月6日、記す」

実に久しぶりの旅行が、弟のお墓参りとはねえ。(5日)

朝5時38分相馬出発。常磐線で仙台へ。仙台から米原まで新幹線乗り継ぎ。やまびこ(東北新幹線)もひかり(東海道新幹線)も、自由席であったが、ガラガラであった。これじゃ、JR東日本JR東海も大赤字だろう。一番混んだのは、帰りの常磐線(仙台ー相馬)である(笑)。それでも、座席が隣り合うことはなかった。

 

12時20分彦根着。

奥様Sさん、長女Tちゃん、長男M君一家で出迎え。お墓へ向かう。お墓と言っても、共同の永代供養墓である。弟には戒名もない。

 

弟の名前の新しい卒塔婆がある。

 

知ってる限りのお経を唱えた。般若心経、舎利礼文

 

知ってる限りの経文を唱えた。

「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」「我昔所造諸悪業皆由無始貪瞋痴従身口意之所生一切我今皆懺悔」「十方三世一切仏 諸尊菩摩訶薩 摩訶般若波羅密」

 

おっとと、このお寺は、浄土真宗だ。俺の唱えたのはお前の実家の曹洞宗の経文だ。

 

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

どのようにこの世を過ごそうとすべてを受け入れて極楽往生をさせてくれる阿弥陀様を信頼申し上げます。

 

 

これ、お前にふさわしいかもな。おっと俺だってこの世に生きている限り、諸悪行を重ねてきたんだと思う。己の力で極楽往生なんて出来ないかもねえ。阿弥陀にすがるのも良いと思う。

 

俺にそれができるか。それはどうも難しそうだ。

 

(2月7日追加)

 

借家へ向かう。ビックリすることに、掃除をした気配がない。有名なごみ屋敷ほどじゃないけど、整理した様子もない。弟が寝泊まりしていた部屋は、洋室6畳くらいか、も少し狭いか。物が散乱している。テレビはない。いつもラジオを聴いていたそうだ。写真が一応飾ってあった。がりがりに痩せていた。いつの写真か。死の直前にはもっと痩せてたんだろう。どんな生活をしてたのか。厚生年金をもらってたはずだけどな。

 

 

忘れててごめんな。でもどうしようもないだろう。234だよ。昨年は送った野菜のお礼も言ってこなかったな。俺が電話をかけても出なかったな。

 

 

「老衰死と書けないので、多臓器不全」とお医者は言ったそうだ。老衰死だって?おいおい、まだ64だぜ。しかも奥様と長男息子が同じ家に同居しているのだぞ。二人もいて、何とかしろよ。

 

脳梗塞で少々不自由な体になっていた。糖尿病でもあった。膝が痛いとのことだった。ものを食わずタバコばかり吸ってたそうだ。己の体の不自由さと精神病の奥様と頼りない長男。・・・人生に絶望したのかい。そうなのか。緩慢な自殺か?

 

「あんちゃん、俺には俺の人生」「あんちゃん、ほおっとけよ」「俺の人生、俺の好きにするさ」「みんなには迷惑かけないからさ」いつかきいたセリフだ。バーカ。

 

俺や母親に心配かけてただろう。バーカ。それって迷惑かけてるんだろ。

 

 

さてと、君の残した家族には心配は尽きないが、まあどうしようもないや。

234だよ。俺とお前だけの暗号。分かるだろう。「それがうるさい」ってか。234が悪かったか?弟よ。

 

 

2年ぶりの遠い旅行が、お前のお墓参りとはなあ。

(追記終わり) 

 

いいロケーションのお寺だなあ。すぐそばが国宝彦根城。ちょっと行くと琵琶湖。

 

良かったねえ。T夫(弟の名前)。

なるほど、母親が買ってくれた相馬の墓地に入る気は起きないかもねえ。

 

俺が死んだら、また会おう。酒でも飲みながらいろいろしゃべろう。F男も一緒にね。若いころ、3人でよく遊んだなあ。酒も飲んだ。F男も兄貴より先に逝った男だ。お前ら、ほんとにお気楽な奴らであったなあ。(俺にはうらやましいという気持ちもあったのかもね)

 

「気楽じゃない」って。そうかもなあ。分からん。

 

今は二人で「心の旅」でも歌っているんだろう。酒飲みながらね。これは間違いないな。

 

 

俺とYちゃん(隣家の友人)は、それぞれ長男坊(Yちゃんは次男なんだけど、実質は長男。ほんとの長男が知恵遅れで、Yちゃんは、3男のF男を頼りにしてた)。やっぱり家に縛られてたなあ。俺らは束縛の中で生きてきた。それでいい。

 

 

お前らは自由だった。そして好きに生きた。それでいい。

 

 

 

彦根へのとんぼ返り。

遠くから彦根城も見たし、琵琶湖も車から見た。そういえば富士山もしっかり見た。新幹線で大宮からも小田原・富士からも見た。圧倒的存在感。富士山に圧迫される。うるさいぞ、富士。振り返れば浜名湖からも見えた。しつこいぞ、富士。

こんなことをいう俺は、金子光晴「富士」を思い出してる。

 

「ふん、くそ面白くもない。洗いざらしの浴衣のような富士」

 

感じ方も考え方も、人それぞれだ。

 

弟よ。ちょっとの間、バイバイ。

 

お前が車の中にいつも置いたという交通安全のお守りをもらってきたよ。相馬神社のお守りだ。そこに焼けた10円玉が入っていた。母親のお棺に入れたものだろう。今朝、

仏壇の母親の写真に抱かせたよ。お前やお前の長男のM君を一番心配していたおふくろに。

 

 

今俺は、家の中で相撲をとった(その結果畳をボロボロにして怒られた)、6歳下の、お前の小さな体のぬくもりや、

浜辺で相撲を取った、明らかに手抜きしている、俺よりもはるかに大きくなった、

お前の体のぬくもりを

 

思い出している。

 

ばかやろ。

 

バイバイ。弟よ。・・・・お疲れさん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナワクチン打ちますか

強風の中、原町のスタンデイングに行ってきました。寒かった。

参加人数は11名でした。カメラは持って行ったのですが、メモリーを忘れて写真はありません。

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(再掲)

今日の朝日新聞に、「日本学術会議が任命拒否された6名を4月まで任命するよう要請した。しかし、正式の回答や説明は一切ない」という記事が載っていました。

 

コロナ騒ぎで、忘れられた感がありますが、かつて、政権による学問の自治や自由の圧殺が、政府の独善・独走・独裁をもたらし、戦争・人権圧殺を招いた歴史的事実があります。菅政権は、大いに反省し、学術会議の意思に沿って任命すべきです。皆で政権に圧力をかけましょう。

 

安倍前首相の「森加計桜」関連の諸問題だって未解決です。安倍前首相の私利私欲・嘘・ごまかし、はこのままになってしまうのでしょうか。不許我利我利亡者。

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(再掲)

スタンデイングで、この春から実施予定の新型コロナワクチン接種の話が出ました。

私は、ワクチンで免疫を得て、安心してどこかに遊びに行こうと思ってたのですが、隣の人は、打たないといいます。へえー、違うんだなと思って、全員に聞いて回りました。

6対5で、打たないという人が多かったです。理由も聞きました。

打たない理由

ぜんそくの持病(アレルギー)があるため、心配だから打たない。

〇医者だって打たない人がいるので、自分は打たない

ノルウェー数万人中33人が、ワクチンで死んだという情報がある。ワクチンで死ぬ確率が、コロナで死ぬ確率より高いかもしれない。

〇ワクチンで死んだ場合や後遺症の補償が不明確である。ポリオや子宮頸がんの予防接種の補償をしなかった例がある。政府を信用できない。

打つ理由

〇免疫ができて、コロナにかからない

〇ワクチンで死亡なんて確率低いし、コロナ後遺症の方がもっと怖い

〇皆が打たないと集団免疫にならないのではないか

〇諸外国や医療関係者の経験があるので、3月末ごろには安全と分かるのではないか

 

「多くの人が打たないと、集団免疫ができない」「打たない人への攻撃が起きるのでは」等心配なことも指摘されました。

 

このように、接種の方法以外に、様々な問題が生じそうです。

 

ちなみにわが妻(64歳)は、あんたたち(俺ら65以上の高齢者)の様子を見てから打つと、のたまいました。おいおい冷たいな!(笑)

 

 

 

 

 

辺野古新基地建設に反対する

今朝、ネットで「辺野古基地に自衛隊常駐」という記事を見つけビックリしました。と同時に、なぜ政府が辺野古基地に固執するか、また憲法違反の安保法制をゴリ押しして

成立させたか、腑に落ちました。

 

この記事は、沖縄タイムス共同通信の共同取材に基づくもので、沖縄タイムスの記事によると次のようなものです。

(1)これは、2015年米海兵隊ニコルソン司令官と陸上自衛隊岩田幕僚長というトップ同士の合極秘合意で、まだ自衛隊全体の意思ではないこと。

(2)自衛隊は、2018年から尖閣諸島等での中国軍との衝突に備えて水陸機動団(日本版海兵隊)を作っている。陸自の目的は辺野古新基地に米海兵隊と同居し、一体化し、尖閣等南西諸島の離島防衛に当たること。

 

これが事実とすると大問題です。

第一。辺野古基地は、米国海兵隊が使用というこれまでの説明がになること。

 

第二。自衛官トップが勝手に自衛隊の運用を決めていて、文民統制違反であること。

   →政府は厳しくこの幕僚長を処分すべきである。

 

第三。米国海兵隊は、敵の中枢基地への殴り込み攻撃部隊であり、陸自がこれと同居して合同訓練し、一体化するのは、自衛隊の本旨=守防衛から大きく逸脱すること。

 

第四。この極秘合意がなされた2015年は集団的自衛権容認の安保法制が国会で強行採決された時である。陸自トップは、安倍内閣の暗黙の了解のもと極秘合意を結んだ可能性も否定できない。安倍内閣は、安保法制はあくまでも専守防衛と言い張ったが、攻撃部隊である米国海兵隊との一体化は、安保法制の専守防衛が嘘であることの証明である。安保法制の危険性がここに露見していること。

 

沖縄県民の意思に反し(憲法地方自治の本旨に違反)、沖縄県民だけに不平等に負担を強いる(憲法の平等原則違反)辺野古新基地は、安保法制の下、日本国が攻撃されていなくとも、米国と一緒に米国の戦争に参加することを可能にするものです。

 

辺野古新基地反対!

 

 

いうまでもなく安保法制は、それまで自民党自身が違憲と解釈していた集団的自衛権一部行使を認めたものです。憲法学者の殆どが違憲と言っていた代物です。その安保法制の行きつく先が、米国海兵隊陸自の水陸機動団の同居・一体化です。

 

近頃自民党内では、「敵基地攻撃能力」保有しようという動きがあります。また海自は、既に戦闘機を搭載できる護衛艦(実質は空母)を保有しています。

 

これらの動きはすべて、日本国が「専守防衛」(日本領土を侵略されたときだけ軍事力行使)の国家から、米国と一緒に敵国を攻撃する国家に変身するということを意味します。

 

(私は、次の考えを間違っていると確信していますが)、「米国と一緒に戦えることが戦争抑止力向上に役立つ」と考えるならば、憲法改正して国民の認識と合意を得るべきです

 

まず安保法制を廃止すべきです。

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ということで、今年2回目の地元のスタンデイングに参加してきました。

 

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 写真が暗かったですね。対照的に明るい暖かい日でした。私も含めて10名の参加でした。少し増えたかな。