柴又より愛をこめてー日常と非日常

(2)柴又より愛をこめて
  燃えるような恋愛と日常生活の結婚というテーマなのだろうね。この映画の主題は。
 栗原小巻が演ずる島の先生が「情熱の恋愛がなくて結婚していいのか」と悩みを寅に
 告白する。タコ社長の娘あけみが日常の結婚生活の平凡さに飽いて家出する。何かを求 めて。
  確かに日常は退屈だ。燃えるような愛なんてない。冒険もない。しかし、日常で こ の世は出来上がっている。みな日常を生きている。博とさくらは、日常を懸命に生き  ているふつうの人の典型だ。タコ社長もおじさんおばさんも。
  寅は違う。非日常そのものだ。家族を持たず、風に吹かれて歩き、何者にも束縛され ない。自由そのものだ。多くの人は会社や家族や地域社会や地位(日常)に縛られ、不 自由だ。だから自由に憧れる。燃える何かに憧れる。しかし、それは達成されない。た とえば、式根島で遭った青年との恋を成就できず、夫の元に戻ったあけみのように。
  非日常的存在の寅は、燃えるような恋愛をする。しかし、寅もまた恋愛を成就できな  い。結婚は日常そのものだからねえ。
  思えば、「男はつらいよ」は、日常と非日常の対立がメインテーマかもねえ。
  
  この作は、「男はつらいよ」の中でも出来がよいと私は思う。
  あけみが島の青年にプロポーズされて、「ごめん。人妻なの。」という場面。あけみ  というはねっかえり娘に日常の倫理が働いている。日常が働いている。 
  川谷卓三が間接的に島の先生にプローポーズする場面。川谷の朴訥さが素晴らしい。
  川谷のような日常を生きる人に普通の幸せが来る。寅には、普通の幸せはない。代わ
  に自由がある。
   寅の失恋とそれに気遣うトラヤの人々。それをぶち壊す満男。面白い場面である。  そのやり取りがおもしろい。47作のなかでも特に面白い場面の一つと思う。
  ユーモアの中に人生(ここでは、日常/非日常、恋愛/結婚)を描いている。「男は  つらいよ」の人気の秘密だろう。
  尚、この作の下敷きになっている「二十四の瞳」は、私の最も好きな映画である。そ  れについては、別に語ろう。山田洋二監督も「二十四の瞳」が好きなんだとよくわか  った。