いじめの構造について

 いじめをする側の心理について考えてみよう。
 いじめは、他人の何らかの抵抗を抑えて自分の意思に従わせる喜び=支配欲の充足を求めることから起きると思う。人間に支配欲は必ずあるものだろうか。
 そうは言えないと思う。出世をして上に立つというのは、支配欲を満たすという面もある。しかし、出世なんかしたくないという人もいる。また出世は、自分の生活向上のためという人も多い。上の立って人に命令するのは嫌だという人もいる。すなわち人を支配することに喜びを感じない人も多い。平等の立場で一緒に何かをするという喜びを大切にする人もいる。
 ではどのような人が他人を支配する喜びを自分の行動の原理にするのか。それは自分が支配されて欲求不満に陥っている人だと思う。大切にされてきた人は人間関係に不満を抱かないと思う。自分が支配されて不満を抱く人が、自分よりも弱い人を支配して支配される欲求不満を解消しているのではないかとおれは思う。
 自分が大切にされないで支配される人とはどんな人か。
 すぐに思いつくのは、親に大切にされなかった人である。親にいじめられた人は、いじめに走る。親に自分の意思を否定された人はいじめに走る。親にバカにされた人はいじめに走る。親に支配された人は、自分より弱いものを支配するとおれは思う。
 部長にいじめられた不満を係長や平をいじめることで欲求不満を解消する課長もいる。
 ただし、いじめられてもいじめ返さない人も多い。自分が誰かに大切にされて、気持ちいいなあ、おれは価値があるんだと思った経験がある人はいじめ返しはしない。
 結局子どもの世界のいじめは、その子供が大切にされたことがないことに起因すると思う。今回の大津のいじめの親たちは、加害生徒(息子)を大切にしなかったと思う。最大の責任があるのは、加害生徒の親たちだ。