とうとう食べなくなったのか。

 母はこれで何日食べてないのだろうか。昨日何回挑戦したか、はっきりしない。起きてると思ってギャチアップすると寝てしまう。正面を向けると寝てしまう。先おとといの夜11時、水を飲ませたのが最後か。その時、スプーンを口に当てると口を伸ばして飲んだ。その前にウイダインゼリーを唇に当てたらぺろりと嘗めた。それが最後だろうか。しかし、いくら待っても、飲み込まない。いくらと言っても10分くらいだろうか。薬も飲めていない。そのせいだろうか、脈拍が80〜90台と高くなった。ずっと60台であったのに。
 前にも何べんも、(入院してる時から)、母は、「もうたくさん、飲みたくない」「くたびれたー」と言っているような気がしていたが、そうなのだろうか。妻は、のぜたりすると、あるいは飲み込めずにそのまま横向きにすると、「無理に飲ませる方が怖い」と言って飲食させることに反対する。おれだって、危険を承知でこれまで飲食させてきた。冷や汗をかきながら。それは食べないと死ぬのは確実だからだ。
 そうするとイロウに考えが戻るのだ。あるいは中心静脈注射という方法もあるのだそうだ。ただしそれは、元気で頭がしっかりしていて、胃腸で摂食できない人がやることだそうだ。
 イロウは危険でできない。いやできるかもしれないがもはや遅い。
 イロウや中心静脈注射で長らえるとして、それを母に聞いたら「絶対いやだ」というような気がする。ぽっくり逝けたらと言うのが彼女の長い間の願いだったから。「畑でぽっくり死ねたらいい」とよく言っていた。寝たきりになりたくない、他に迷惑をかけたくないという気持ちがあったのだろう。俺も同じ。俺もこの3月会津に行った時、鈴木氏と一緒に、会津坂下のぽっくり観音にお参りし、その観音様に抱きついてきた。
 もう20年も前になろうか、ある時二人でいるとき、母はおれに、「おれこのままで生きていっていいのか」といった。どういう意味かと言うと、どうやら最期まで俺たちの世話になっていいのかという問いかけであった。俺は当然いいと即答した。あの時母は、自分の衰えを何かで感じていたんだろうな。
 子どもたちが小さかったころだ。その頃、旅行に誘うと「おめたちでいってこ」ということが多かった。あれは、今に迷惑かけっからという気持ちだと、俺はその当時から思っていた。
 母は、何人を看取ったのだろうか。実家の自分の母、これは長かったらしい。家の舅、姑、その母、そして自分の夫、5人である。大変なことだ。
 俺は、ただ一人自分の母の看取りにおろおろしている。読む本は全てかつて読んだことのある本ばかりをずっと読んでいる。映画もそうだ。新しいことは何もできない、考えられない、やる気力がない。せいぜい畑だ。それもなかなかという感じだ。
 あ一つ、新しいことをやっている。憲法9条の会のことだ。それは俺のメーンテーマだ。しかしそれもかつて読んだことのある評論を紹介するという作業だ。新しい本は読めない。読みたくない。やはり、気もそぞろなんだなあ。
 母の死は、もう近い。なぜなら、イロウをせず、自分でも食べず、点滴のみで生きていて、心臓の薬も飲めていないんだから。できるだけ安らかな死が訪れることを願う。