7・30 今日も目覚めない

 今正午過ぎ。母は今日も目覚めない。朝6時過ぎは、目をあいていたがうつろで反応なし。8時過ぎには、どうやら覚醒した様子。目に力あり、ニコニコ。ただし、おはように対して、何も言わず。ちょっと前には、お早うと返したり、言おうとしたりしたのになあ。また、衰えたという感じがする。無理もない。今日・昨日・一昨日と一滴の水も飲まず、点滴のみで生命を維持しているのだから。
 今朝9時少し前、食事の準備にかかったところ、看護士が急に来ることになり、食事の準備を停止した。その後車の点検から帰ってくると、看護師による清拭も終わっており、母はぐっすり眠っていた。
 昨日は、母の眠っているそばで、日本の歌のいろいろを流した。元気なころもっとこんな歌を聴かせればよかったと思いながら聴かせた。聴こえているのだろうか。気持ち良さそうに眠っていた。
 元気なころこうすれば、ああすればよかったと思う。もっとうまいものを食べさせればとは思うが、しかし、われらと同じものを食べさせていたのだから、まあしょうがないか。春頃、桜の開花した時散歩に連れて行ったが、桜を見てほとんど反応がなかった。昨年は、うっつくしいなあと言ったともうのだが。食べることでも、すぐに食べず、なかなか食べきれなくなっていたのも事実だ。最後は、俺が匙で食べさせていたのが4月下旬の頃である。やはり、認知症は進んでいたのだ。アリセプトを飲んでいたけれども。
 そこへ心臓の機能の悪化、入院。これで尚認知症は進んだ。それでも笑顔は忘れなかったと思う。今日だって朝にっこりしたのは見たぞ。何日振りかな。
 3日前の食事ーとはいっても、フルーツゼリーとポカリとウイダインゼリーなんだけどーの時、フルーツゼリー4を5口ぐらい食べた時、飲み込めなくなってしまった。その時、俺の方を見て、「なんで食べさせるんだ」と抗議しているような顔で見詰められたことを印象深く思う。それは前にも感じたことだが。俺に食べろ、食べろと言われるので、仕方なく食べてやるかということで、口に含んでいるとどうしても思ってしまう。そうなんだろうか。多分そうなんだろうなあ。「もう沢山。結構。」なんだろうなあ。
 しかし、今日の午後、目覚めたら、また食べることに挑戦しようと思う。