近頃読んだ本(夏樹・和久・宮沢)

 一応備忘録のつもりで、近時初めて読んだ本の印象を書いておく。
 
まずは、夏樹静子の「Мの悲劇」。まあ面白かった。夏樹静子を読んだのは、初めてではないか。特に日記の特性ー他人に見られることにより、他人に影響を与えるという機能ーを使ったストーリーがスリリングだ。女主人公(名はもう忘れた)の最後の場面での夫への愛は、さもありなんと思う。若い男の執念はちと不自然名のような気がする。
 まあ、後は対して覚えていない。その時面白ければよいというエンターテイメントである。
 
 次は、和久俊三「憲法面白事典」。問題形式になっていて、なかなか答えを当てることができない。少し自分で考えてから答えを見ればいいのにすぐ見てします。脳の粘りがなくなったか。憲法と言いながら、後半は刑事事件が中心である。感心したのは、憲法9条の解釈の分類が明確(ただし正しいかどうか不明)であることだ。もう一度才独伊の必要あり。本人の意見はこの項目についてはない。
 
 最後に宮沢賢治銀河鉄道の夜」と「風の又三郎」。
 「銀河」は、2度目か三度目。不思議な感じがする。透明感だ。賢治のたぐいまれな感性が随所に出ている。やはり気になるのは、自己犠牲・利他ということだ。この童話には、サソリが出てくる。サソリが他を食べて命を維持し、自分が食われるのを嫌ったことを深く反省するという一挿話。なんて悲しいんだろうね。友人のカンパネルラも級友を助けて溺れて死んでしまう。夜鷹の話も他の命をとって生きていくしかない生物の宿命を描いていたっけな。他の生命を奪って生きる生命体が、他のために生きる。それが賢治のメインにテーマだ。他にも何かあったな。このテーマは、深くて重い。他のために自己を犠牲にする。それは、キリスト教にも仏教にも共通する生き方の理想だ。・・・理想だろうか。何か違うな。何だろう。「そうしか生きられない」と言った方がいいのかな。なぜなら、自分という生命、いや生命自身は必ず消えゆくから。
 
 じゃー現実の世界ではどうだ。自分の利益のために生きていくに人間がほとんどだ。そしてそれを前提にして、(当然のこととして)社会は成り立っている。資本主義がそうだ。法律も利己主義を前提に理論が構築されている。この矛盾はどうだ。
 この矛盾をつなぐものはなんだ。
 「風の又三郎」・・・昔の小学校やその生活が生き生きと出てくる。複式学級が面白い。転校生とのやり取り、受け入れ、生き生きとして面白い。川魚とりも面白い。しかし、なんといっても「ドットとドドウとドドウとドウ」という風の表現だなあ。この表現力の素晴らしさ。そういえば、「銀河鉄道の夜」では、主人公がいじめられているねえ、軽く。いじめほどではない。それにしても疎外されている感じがある。