ロッテは悪女か 「若きウエルテルの悩み」

(1)客観的にみると、ウエルテルは無理な恋に狂い自殺したバカな男といえる。しかし、心情的には実にウエルテルに同情する。つまり読者に同情させるだけの手腕が作者にあるといえる。なぜ同情するんだろう。ウエルテルの目から見たロッテが魅力的だからだ。恋に陥るのはしょうがない。たとえフィアンセがいてもだ。彼女が結婚してからはどうだろう。普通の感覚では、あきらめて遠ざかるのが普通だろう。なぜ遠ざからないのか。それは、ロッテがそれほど魅力的で、そしてウエルテルを愛していることをロッテが行動のところどころで示す。ロッテがそうであれば、ウエルテルが相変わらず出入りするのも仕方ないか。ロッテは悪い女か?魅力的なのは悪いことではない。しかし、ウエルテルに好意を持つことを表してはいけないのでは。その意味で悪女と言えると思う。

(2)しかし、ロッテもウエルテルを愛しているならば、それは自然なことでやむをえぬことか。悪女と言えぬのではないか。ロッテも
どうも愛していると思える。ここでこの小説の構成が注目される。というのは、前半が、ウエルテルの目から見たロッテで、それはそれは、はつらつとした魅力的女性である。もちろん恋する男の目から見ているのだから魅力的なのは当たり前だが。後半は、筆者が客観的に、ウエルテルの死までを追ったという構成になっている。しかし、やはりウエルテルの目で見ている部分があるのじゃないか。そこにゲーテのうまさがある。
 ところで、ロッテは、夫も愛しウエルテルも愛しているのか。多分そうなのだ。そんな女性なのだ。そして、一番不思議なのがロッテの夫だ。(名前は忘れた)嫉妬しないのか。妻にセーブをかけないのか。ウエルテルを友人として遇している。大きい人物だ。いやこんな男はいないのでは。このおとこが人がよすぎる?ことがウエルテルの自殺を生んだともいえる。

(3)ともあれ、ロッテは魅力的だ。そしてゲーテのその筆力、特に別れの場面の美しさは、なんともいえない素晴らしさである。