超私見・偏見 オールスター今昔

 昨晩と一昨晩、40数年ぶりにプロ野球オールスター戦をみた。高校生の頃以来だ。とても面白かった。新人対決。全て直球勝負。超スローボール。面白かった。それに比べ、高校生の頃のオールスター戦は、欲求不満いっぱいだった。
 多分夏休みに入ってすぐかと思うが、王・長島・野村なんかのころだ。あの、何というんだろう、スポーツ番組の始まる時のブラバンの音楽が流れて来て、期待でドキドキ、ドキドキしたことを覚えている。
 しかし、面白くなかった。なんでだろう。

俺は、長島ファンでアンチ巨人で、セリーグ応援で、なかなか思うように行かないから面白くなかったこともある。いつも長島が活躍できるわけもなく、セリーグが勝つわけでもないから。
おっとそれどころか、圧倒的にパリーグが強かった。それが大きな不満の原因のような気がする。
強パ・弱セの理由について、その頃の解説者が言うには、「セは、いつも混戦で、オールスターはお休みという感じで、手抜き。一方パは、テレビ放送もなく、世間に注目されない。そのうっ憤晴らしに一生懸命。その差が、圧倒的なパの勝利となる。」とのこと。なるほどそうかもと思った。「人気のセ、実力のパ」なんて言われてたなあ。
 
 現在は、セパは、人気・実力ともに同等と思える。むしろパの方がどちらも上かなあ。
隔世の感がする。

 さらに、世相・社会全体ののちがいを感じる。ここ,俺の偏見あるいは独断。
つまり、40年前のオールスターでは今より勝負が重視され、真剣味が要求されたこと。もちろん、金田の代打なんて遊びもあったが、今ほどお祭りと言う気分は少なかったと思う。

 これが日本社会の変化の反映とおれは思う。40年前の高度成長期、みな貧乏から抜け出そうと必死に働き競争した。だからこそ、オールスターでも勝負・真剣味が要求されたと思う。今は遊び優先。それでも観客は満足した。

 つまり、日本社会は十分成長し切り=成熟、ゆとり・遊びがあり、一人ひとりの心の持ちように余裕があるということと思う。無理しなくとも良いや、楽しみ優先ということ。

 こういう意味で、高度成長期よりも良い面があると思う。こんな気持ちの社会の方がいいじゃないか。そんな気がする。「高度成長期のような無理はよそうぜ」と言う気になる。

 小泉改革アベノミクス・旧来型の成長戦略は、もう時代に合わない。
少子高齢化社会にあった、成長優先でない、庶民の生活優先の社会を目指そう。もうぎすぎすした競争原理による成長戦略はよそう。

 その全体のあるべき社会の姿は俺にはわからない。
 現在の問題の中核的な問題は、格差問題であると思う。それを不景気のせいにしてアベノミクスで解消なんて宣伝している。それがおおきなごまかしなんだ。アベノミクスのやり方は、格差拡大方向だ。

 格差問題とは、ワーキングプア、雇用格差、年寄りと若者の格差、同世代間の格差(高齢者間の貧富の差、子どもの教育格差等代表的)と思う。

 この問題のためには、持てる者が持たざる者に富を譲ることが必要だ。そのための政策と税制が大事だ。
 
 そんなことをオールスターを見ながら考えた。