軍事抑止力の限界と日本の安全保障

 自民党幹事長の石破さんは、昨晩(7月24日)のNHKの討論番組で、「憲法解釈を集団的自衛権行使可能に変える。その方法は、「安保基本法」という法律でしたい」といった。

 法律で行うというのは、勝手に政府解釈変更でやるよりは良い。たとえば「日本政府の声明で」なんてのはひどすぎる。もちろん今まで出来ないと言ってきたのを出来るというのだから、また、彼の言うように、内閣が変わるたびに行使出来たりできなかったりなんてのはおかしい故、法律でやるのは当然ではあるが。

 さて、石破さんは、「すぐに集団的自衛権を使うということではない。抑止力を高めるためだ。」といった。つまり、すぐに戦争は起きない。アメリカに敵対する国に、「米国に手を出したら、日本もやるぞ。だから手を出すな」ということで衝突・戦争を防ごうと言うことだ。

 俺は、この「集団的自衛権を行使できるようにする」という考えに反対だ。理由はこうだ。

 ①軍事力による抑止は、緊張を高め、戦争の危険性を増す。同盟関係を通じた軍事力による抑止も同じ。2つの世界戦争を忘れたのか。どちらも相手よりも強くということで、仲間を作ったのが世界戦争になった。

 ②軍事による抑止力と言うのは、こちらが相手より強けりゃ相手はかかってこないだろうという考えである。これが間違いのおおもとだ。
  その理由
 a)現代は、核兵器・生物化学兵器と言う兵器を持つ。これは、これは通常軍事力に劣る国・民族にも手に入れやすいものだ。それを使えば良いと弱小国家・民族は考える。
  
 b)現代は、テロ(サイバーテロも含む)・ゲリラ戦にきわめて弱い国家社会になっている。(エネルギーの膨大な使用・都市化・過密化・グローバル化)。テロもまた弱小国家・民族の手段として視野に入る。もちろん巨大国家でもあるが。たとえば、米国がオサマ・ビン・ラデインを殺害したように。核・通常軍事力の強さで抑え込もうという考えは、間違いである。弱小国は、逆転の手段があると思う。つまり、抑止にならない。

 c)軍事力による抑止力は、相手の理性の存在を前提に持つ。つまり、「弱い相手は、俺(個別軍事力)に、あるいはおれら(同盟)にかかってこない、もっとやられるのは嫌だろうから」と言う相手の理性を信じている。
 
こんなことで衝突・戦争を防げるか。
 俺は、そう思わない。戦争の原因の多くは、それぞれの国家や民族が自分が正しいと主張して起きる。その場合、相手よりも弱くても戦争に訴える。太平洋戦争時の日本がそうだった。米国よりも弱いと知っていながら戦争に突入した。また、「窮鼠猫を咬む」というようなこともある。

③ ②で言った通り、軍事力による抑止という考えは、戦争を抑止しない。考えても見よ。自民党は、日米同盟強化によって、中国を抑え込むという方針を示し、日米同盟を弱くした民主党政権を批判した。しかし、安部政権誕生で、日米同盟がスムーズになったとしよう。中国はそれで領海侵犯を止めたか?北朝鮮はどうだ?韓国との関係は?
 
④ 「抑止力」と言うが、自衛隊を強くする、米国を守るため一緒に戦うとまで決めて米国に守ってもらうというやり方は、軍事力による抑止力だ。別な抑止力がある。

 ア)国際法
代表的なものを挙げる。
   1899年「ハーグ陸戦条約」・・無防備な地域を攻撃してはならない。民間人を殺してはならない。武器を捨てた兵士を殺しては
                 ならない等
   1928年 パリ不戦条約・・・国際紛争を戦争で解決してはならない
   1945年 国連憲章・・・国際紛争は平和的解決をすべし。戦争は、国連が乗り出すまで、自国または同盟国が攻撃された時だけ
              認める。平和的解決のため「国際司法裁判所」を使え。
     これらは、人類の悲惨な戦争経験からきた知恵の塊だ。 
   
 イ)相互依存関係
  原料・食糧・エネルギー・資本・市場・文化が世界全体の企業・人々の間でお互い依存しあっている。中国で作っているユニクロの製品を持ってない人は少ないだろう。今日俺が食べたウナギは中国産だ。中国の成長鈍化が伝えられると日本株は下がる。中国経済
破たんすれば、アベノミクスの株高なんて吹っ飛んじゃう。韓国ドラマを好きな人もいるだろう。相互依存関係を破壊しては、どの国もやっていけない。だからこそ、決定的な衝突はできない。

 ウ)人類の常識・相互理解
  「人殺しは嫌だ。殺されるのもいやだ。武器を持たない人を攻撃しちゃいけない。お互い気分良く行こう。互いの違いは認めよう。みんな地球の一員だ。好き勝手してたら人類みんな滅んじまう。たった一つの地球という宇宙船の一員。今度戦争したら人類滅ぶ」などということがほぼ共通に理解されている。
 安部さん石破さんも、戦争になった時、北朝鮮や中国だって、地下鉄でサリンをまいたり、水源ダムに毒を撒くとか、故障した原発にテロ攻撃、東京ドームに爆弾なんてしないと思っているんだろう。こんなこと自衛隊・米軍がいくら強くとも防げないからね。
 
つまり、軍事力信奉者も、軍事力以外の抑止力に無意識に頼っているのだ。彼らが馬鹿にしている「諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」(日本国憲法前文)を無意識の当然の前提にしているのだ。

 だったら軍事力による抑止強化の方向でなく、軍事力以外の抑止力強化の方向へ行くべきだ。

 エ)日本国憲法
 日本国憲法は、国際法上の「国際紛争の平和解決」の最先端をいっている。国連憲章のその先を行っている。
 つまり、1項=戦争放棄は、国際法の常識である。パリ不戦条約・国連憲章という世界の常識そのものだ。特に目新しいものではない。2項の戦力放棄と武力行使禁止は、国連憲章=人類共通の常識の先を行っている。
 
9条2項の戦力放棄・武力行使禁止は、歴史の偶然が生みだした一種の奇跡だ。

 支配層でいえば、米国の「日本国の無力化」という意図と日本政府の「天皇制を残そう」という意図の合作である。国民レベルでいえば、「戦争はこりごり、戦争につながるものはすべて拒否」という国民感情がその支えであった。米国の国際法違反の空襲・原爆投下による悲惨が目の前にあった。人類はもう戦争はできないという巨大な証拠=原爆被害がそこにあった。

 人類はもう戦争はできないのである。原水爆・テロ・生物化学兵器を考えれば人類はもう戦争はできないのである。無防備の民間人を殺してはいけない以上、戦争はできないのである。国家間の紛争は、武力で解決してはいけないのである。武力で解決してはいけない以上、武力は持ってはいけないのである。国家に武力行使を認めてはならないのである。

そこで、今後の日本の安保政策は、
①平和解決の再宣言(日本国憲法で宣言しているので再宣言ということになる)
②その具体的方針として、
 「領土問題(尖閣も含む)全ての解決を国際司法裁判にゆだねる」という宣言。
 相手国政府・相手国国民への要請・呼びかけ。特に相手国国民へが極めて大事。それは、政府・国会・民間すべてのチャンネルで
 行う。
日米安保体制からの脱却
④国連軍創出への協力・・・
 常設国連軍ができたならそれへの自衛隊の参加(ただし日本国家権力関係から完全脱却、多国籍軍には不参加)
自衛隊専守防衛の明確化・縮小
 国連PKOや海賊対策へは、自衛隊から分離して別組織で行う
⑥上述の相互依存関係の進展。
⑦世界人類への貢献(科学的知識技術・医療技術・省エネ技術・少子高齢化社会の理想モデル・自然環境の保全・安全安心の社会モデル等)
 
 さてここに、国際法を無視し明らかな日本国領域を侵略しようとする国家があるとする。(それは可能性として極めて低い。たとえば中国は、無人島の尖閣を自国のものと主張して領海侵犯をしているのであって、日本国民の住む先島諸島沖縄本島・日本本土をよこせと言ってはいない。そんなことをしたら国際社会で生きていけない。)
 尖閣は、明らかな日本国領域かという問題がある。明らかな日本国領域と国際的に認められるかと言うとそうはならないとおもう。中国も台湾も自国の領土と主張しているからだ。故に武力で他国が取りに来た場合、侵略と認められぬだろう。しかし武力解決でなく、平和的手段でという国際法違反であるのは間違いない。故に今から、IPJで解決という方向を中国・台湾にも国際社会にも訴えておくべきである。
 
 前の議論に戻ろう。
上のような政策をとっていた場合で、なお尖閣を中国軍が武力でとりに来た場合のことである。
①国連(安保理)に訴える、②国際世論に訴える ③自衛隊で戦う ④米軍にも戦ってもらう ⑤非暴力抵抗を続ける ⑥暴力・非暴力いずれの抵抗もしない。 
 
わたしの考え、
①・②は当然である。⑥は、悪を認めることなのでとらない。

④は、既にない。

⑤を将来の目標とする。それが実現するためには、国連軍の設置・国際司法裁判所での決着の共有化(少なくとも日本国の再声明)が必要と思う。
 現時点では、国連軍がない故、③はやむなしと思う。

と言っても、③の場合、きわめて限定的にするべきである、
a)国連が行動する前に限って、
b)敵国の基地攻撃はしないで(=敵国一般市民殺傷の危険がある)、
c)武力行使以外の解決がまったくないことが明白な場合に限って、以上の条件のもとでである。