五年の梅

乙川優三郎の短編集「五年の梅」を読んだ。

直木賞作家の山本周五郎賞受賞作品という触れこみにひかれたためだ。も一つ、この前読んだ「生きる」が面白かったためだ。

表題作の「五年の梅」が賞の該当作なんだろうか。どうもいまいち腑に落ちなかった。
雑と言う感じがした。

多分、男の方を描写し、かつ女の方も描写するという手法がどうも俺には、気に入らないのかな。その手法が感動を減らしているように感じた。
山本周五郎藤沢周平も短編では、片方から描いている方が多いと思うし、感動も多いと思う。その方がうまく話を作れるようだ。この短編集でも「蟹」「行き道」などは、女の方からの描写でつくられている。それらは、気持ちよく読めた。

夫婦の両方からの描写でまあ成功しているのは、「小田原鰹」だ。
これも作りが雑に感じるが、不幸な生い立ちから、「反りの合わない」男と女=夫婦の
それぞれの救済が描かれている。

この短編集の中で一番いいなあと思った。この短編(中編かも)は「世の中で暮らす」ということの意味も問うている。その意味では、長編に仕立て直してじっくり描いて欲しいと思う。そのぐらいのスケールの大きさが、この話にはあると思った。「親の代由来の不幸からの、ある家族の立ち直り」なんてテーマなのだと思うから。

鰹が長屋に届けられるという話があった。佐伯の「居眠り磐根」にもあったねえ。