脳死生体移植は殺人ではないのか。渡辺淳一「ダブルハート」を読んで。

渡辺淳一の「ダブルハート」を読んだ。渡辺氏は、野口英世の話や失楽園はよんだが(あと「阿寒に果つ」、そのほか少々)、医者の目で見た医学界のことについては、今回が初めてだ。
「ダブルハート」は、心臓移植の話だ。1968年の札幌医大の日本初の心臓移植を題材に小説化したものという。
内容は、ドナーの主治医が、自らドナーの心臓を取り出すための苦悩というのが中心である。ドナーの奥様を説得する場面やそれを奥様が承諾する場面は、ドキドキする。
それ以上に、脳死状態のドナーから心臓を取り出す場面は、「人殺し」と叫びたい気持ちになった。当時この心臓移植は大問題になったと思う。そして犯罪になったのではないかなあ(未確認です。怠け者ですみません)

今は法的に整備され、脳死は人の死とされ、脳死の厳密な確認、本人の承諾・家族の承諾など(未確認)随分進歩したと思うが、この小説を読んで、本質は変わってないと思った。
脳死でも他の内臓は生きている。脳死は不可逆的に身体全ての死を持たらすと思うが、
それでも、脳が死んでも心臓は生きている、他の臓器も。心臓を取り出せば人の行為によって全身の死をもたらす。やはり殺人じゃないか。そんなことを思った。

俺は、今のところ脳死になっても他の臓器は呉れたくない。そのうち変わるかも知れないが。しかし絶対変わらぬものがある。俺は、決して俺には臓器移植は求めない。人の提供した臓器で生きたくはない。