「許されざるもの」を見てきました。

面白くなかった。どうしてこんな映画作ったんだろうか。西部劇は、悪者をやっつける痛快さがあるんだけれど、それもない。
まあ、アメリカ映画の活劇好きの人に向けてつくったのかなあ。

帰りに、宮城県南部の海岸沿いを帰ってきた。亘理・浜吉田・坂本あたりである。震災直後の、骸骨状態の建物はない。散乱していた生活用品もない。ごく少々の再建された人家があるのみだ。基礎部分はかなり残っていた。この辺は平野部である。逃げる高みがない。逃げられたのか。

海岸に目をやると、防潮堤がかなりできている。それがないところは、海まで丸見えである。2年前、その風景を異様とか、異形と感じたが、目になじんできた。なれというのは恐ろしい。

常磐線復旧の土盛りもある程度進んでいるようだ。宮城県は特に、土建関係の労働者が足りなくて会社も行政も困っている。東京オリンピックで資材・人手を取られるのではと心配している。

俺の家も2年4カ月過ぎてようやく震災被害の復旧ができたばかりだ。完全に修理するには1000万かかると言うので、ある程度の修理で我慢した。4百4十万かかった。地震保険で250万出してもらった。保険に入っていてよかった。それに行政の補助金・皆様の義援金で80万もらったので何とかなった。ありがとう皆さま。

東南海地震・首都直下型地震なんて来たらどうなるんだろう。被害を受ける家・人・インフラは、この震災の比じゃないだろう。
地震保険なんて破たんしないか。国家が破産するんじゃないか。地震保険には入っていた方がいいと思います。

津波で家を完全になくした人は、どうするのだろう。新築の場合最高で300万の補助金は出る。しかし地震保険に入っていた人は少数と聞く。いくら小さくて安普請の家でも1000万以上はかかる。貯蓄がなく国民年金で食べている人たちは新築は難しいだろう。災害復興住宅も少しずつは建ってきている。しかし、場所によっては入居者がごく少ない。それは、家賃を払わねばならぬからだ。やがて買い取らなければならぬからだ。仮設は家賃無料だ。出たくても出れないということになる。


津波避難者に比べると、お金的には、原発事故避難者の方が恵まれている。一人月十万の慰謝料がある。会社が休業すれば、その賃金補償もある。自分の土地・家屋の補償もやがて出る。それでも先祖代々住んできた故郷は失われる。他方、津波被害の場合は、だいたい故郷にとどまれる。しかし、・・・。

いわきでは、津波避難者と原発避難者との確執があるとも聞いた。むべなるかな。しかし、さびしいことである。  

今朝、陸前高田の一本松の記事をネットで見た。われらの近くの町にも、津波で生き残った一本松がある。その保存運動があるそうだ。その記事を見ていたら、ツイッターと言うんだろうか、短文がいっぱいあるサイトに出会った。その運動にひどいことを口汚く言っている。税金泥棒、義捐金泥棒といったような。その松は青々としている。保存にそんなにお金はかからぬはずだ。柵として数本の棒と看板立てたぐらいだ。その金がどこからでたか知らないが、もし、税金や義援金で出ていてもごく少額だろう。なぜそんなに悪口を言われねばならぬのだろう。

妻に言ったら、そんな悪口当たり前という。そうなんだろうね。さびしいね。  

今、2011年の3月20日ごろの歌番組(ビデオ)を妻が見ている。スマップが「世界に一つの花」をうたっている。あの当時流れたJCが流れる。生活関連情報が次々流れる。どこそこの死者の数、交通情報、避難所情報、水道・ガス情報・・・、あの頃母は、急性肺炎で入院。その病院で俺は、余震に揺れながら、原発へ急ぐ自衛隊ヘリをみた。真黒な絶望。

あの頃みんなに気持ちのつながりがあった。今は、どうだろうか。・・・・・・おもいつくまま。