あやしうこそものぐるほしけれ

夜勤明けの散歩をしながら頭に浮かんだよしなしごとを書いてみようと思った。


小学校のそばでほっとした。前に「ホシを見つけたら、警察に連絡する」と看板のあったゴミ置き場である。ゴミ出しのルールを守らない人に対しての警告である。嫌な気持ちになったが、今日はなかった。違反者が守るようになったのだろうか。ご近所の人に「そんなことまでかかなくとも」と言われたのだろうか。


そのそばで、何と稲の「はせがけ」をしている。この地区で、はせがけを見るのは、もう何十年ぶりぐらいか。「学校田ですか」ときいた。子どもたちに教えるためかと思って聞いたのだが、「いいえ」という返事。稲を束にしてまるき(縛り)、支柱を立ててそれに稲穂をかけ天日干しをするんだが、随分と面倒な手間がかかる。うまいコメができる。


屋敷林と田畑の中を通る古い街道を歩いた。測量をしている人たちに会った。「ここに何かできるんですか」「道路拡張工事の準備」とのこと。お地蔵さまやほんとに小さな祠や飢饉の慰霊碑がある古い街道だ。確かに道路は狭い。車がすれ違うのがやっとだ。しかし、簡単に拡張していいんだろうか。歴史が消えないか。このお金はどこから出ているのか。ずっと前から改修工事の予定があったのか。それとも震災復興のお金なのか。沖縄で震災復興のお金で道路を改修してたなあ。


民主党の「コンクリートから人へ」というのは、正しかったと思う。「少なくとも県外移設」も。しかしまた、この工事で食べている人がいることも事実。俺の家を修理してもらった同級生の建築会社社長(数名の小会社)は、「いそがしい、忙しい」と言っていた。震災以前は仕事がないと言って職人をリストラしていた。


コンクリート工事と人とどちらにお金を使うべきか。どちらが経済波及効果が大きいか。経済波及効果ではなく、後世代のことから考えるべきか?最大多数の最大幸福から考えるべきか。菅総理が言っていた「最小なんたら」(忘れた)から考えるべきか。



ヘビがいた。やまかかし。俺はヘビが嫌いだ。ざわざわする。今年は一匹しか見なく良い年だ思っていたら、いた。道路の真ん中。もちろん生きている。車にひかれるかも。脅して草むらへ逃がすべきか。しかしそのまま歩いてきた。



俺はかつて恐怖に駆られて、ヘビを殺した。家の子ウサギを食べに来た青大将を殺した。
娘は、「ごめんね、ごめんね」なんて言っていた。優しい奴だ。
俺はかつて、他人にヘビを安楽死殺させた。怖いので・・・・そのことは言いたくない。



コンバインで稲刈りをしていた。稲はモミとなって出てくる。茎は、細かく砕かれて田んぼへ還元される。たちまちに仕事が進む。大きな機械だ。耕作も田植えも稲刈りもモミすりも大きな機械でする。それは高額な商品だ。道路を挟んだ田でも同じコンバインが動いている。なぜ一つの機械でやらないんだろう。理由があるんだろうけど、日本のコメを高くしている。



TPPで農産物が交渉対象となっている。米もひそかに関税の低減化が話し合われているんだろう。


分からん。



関税が安くなれば、あるいはなくなれば、安いコメが入ってくる。
それは、消費者にいいことだ。30キロ3000円や4000円なら随分家計は助かるだろう。「残留農薬が」とか「運んでくるときの保存のための農薬が危険」とかいう人もいる。それは日本に輸入するんだから日本規格で安全なコメで輸出せよとできないか。



安全なコメ?おいおい、隣の町では、今年試験栽培で新基準を超えるベクレルのコメがあったぞ。つい昨日の日本だぜ。そういえば、田んぼに蛍がいなくなって久しい。多くの農薬を使っている、日本でも。



安いコメが入れば、農家が困るだろう。確かにコメを作らない農家が増えるねえ。それでもいいか? 食糧安保? 小麦、オオムギ、家畜飼料、牛肉・豚肉・野菜多く輸入して米だけ守る? 資源・エネルギーを完全に依存していて食糧安保はどうも嘘臭い。
アメリカが売らないと言ったら他国から買えばいいんじゃないか。みな売りたがってるよ。だいたい巨大食糧会社だろう。売るのは。彼らは利益で動くんだろ。


農家がコメを作らなくなれば、水資源保全ができない? そうだろうか、田んぼは冬はカラカラだ。その時は水資源守ってないのか?地下水が田んぼのすぐ下にあるんじゃないか?これも何か嘘臭い。


確かに田んぼがなくなると、風景や景観はなくなるねえ。弥生以前の縄文の風景になる。それもいいことじゃないか。

どうも俺は、田んぼ作りに否定的になる。やはり、俺は都会の消費者や1000万人とか言われるワーキングプアと比較してしまう。夜勤も含めた長時間労働でもなかなか食えない人たち。俺は、楽な夜勤で(給料も安いが=一晩約7千円)年金も10数万あるからいいが。


俺の趣味は散歩だ。農家には悪いが、朝早くあるいは昼散歩するが生産現場(田畑)に人影は少ない。冬は全くない。つまり働く時間が少ないんだ。もちろん機械を使っているからだが。もちろん家での作業もあるのも知っているが。


ラインについて働く人々、「半沢直樹」の激烈な世界。ワーキングプアは政府の保護が少なく若いひとびとが多いんだろう。農家は保護されてきたと思うんだ。


しかし、農協に働く中年の友人たち、もっと若い友人たちの仕事を奪うのではないか。今は農協も米では食べていないかも。


ブランド米として生き残れないだろうか。○○牛のように。友人消費米や自家消費米として生き残れないだろうか。無農薬有機栽培米として生き残れないだろうか。


兼業農家の高齢化は間違いないので、彼らの生活上の年金の問題なのかもね。



それとも、世界人口増をバックにした食糧危機の時の米値段の上昇の時に備えて補助金兼業農家にも今のように作っていてもらうか。その時すぐに人口扶養力の大きいコメを生産できるように。それは世界人類に役立つ。


分からんな。



しかし、多くの兼業農家が田畑の耕作をやめると、俺の大好きな景観がなくなる。小学校唱歌の世界が完全になくなるな。「おぼろ月夜」「故郷」「夏はきぬ」「里の秋」・・・
・・・棚田、里山・・感傷か。



他にもいっぱい頭に浮かんだが忘れた。テープレコーダーにでもとっておけば、良いのかな。



しかし、何のためにこんなこと俺は吐き出しているんだ。他の人に俺の気持ちを分かってもらうため?俺の考えを明らかにするため?このころこんなこと考えていたという記念のため?俺のこの世での存在証明のため?


吉田兼好は、何のためかいたのだろうね。もしかしてここまでよんでくれた人いたらごめんね、ほんとによしなし事だ。

ごめんね、そしてありがとう。