映画「二十四の瞳」と靖国神社

二十四の瞳」とは、昭和二十九年制作木下恵介監督・高峰秀子主演(大石先生)の映画である。

私の、「平和でありたい」と思う感情的根拠=戦争は嫌だという感情の根拠になっているものの大きい2つは、「きけ、わだつみの声」と映画「二十四の瞳」である。


この映画の主人公大石先生は、日中戦争・太平洋戦争で多くの大事なものを失う。自分の仕事(小学校の先生)、夫、教え子、長女(間接的であるが)である。戦後大石先生は、先生に復帰する。そして、兵士になって戦死した教え子の墓参りをする。死んだことを「かわいそうに」と追悼する。


靖国神社は、あるいは千鳥が淵墓苑だって、沖縄の平和の礎だって、場合によっては、国家の戦争行為による戦死をほめたたえることとなる。(高橋哲哉の「靖国問題」参照)


国家が戦死者を祀るのは、国家のため次なる命が欲しいという邪悪な欲である。


戦死者の墓には、大石先生のように、家族のように、「かわいそう」と思う人のみがお参りすべきである。国家が関係する施設は、戦死者の魂をからめとってはいけない。国家は個人の命を要求してはいけない。なぜなら国家とは、個人の生命・自由・財産を守るため、個人が契約して作ったものだ。



それは日本国憲法前文に明確に示されている。(これが嫌だから、自民党憲法改正案は前文を改定しようとしている)




「日本国民は、・・・・・この憲法を確定する」(日本国憲法前文冒頭のセンテンス)