牛の命、人の命

夜勤明けで眠ろうと思い布団にもぐりこみましたが、眠るのに失敗し、起き出し仕方なくブログを書き始めました。・・・散歩に行けば良かった。



私は全ての牛の処分に立ち会いました。夫婦そろって牛を見送っていた家では、牛を乗せたトラックが発車しようとすると、奥さんが突然、荷台にしがみつき、
「ごめんよう、ごめんよう」と言って泣くのです。
そして奥さんは走り去っていくトラックを、悲鳴のような叫び声を上げながら、よろよろした足取りで追いかけて行こうとするのでした。



無断引用(ごめん)の上文は、長谷川健一著「原発に「ふるさと」を奪われて」というルポルタージュの一部分です。
場所は、福島県飯舘村。時期は2011年5月2日から5月25日。


飯舘村が、情報を隠され(かの有名なスピーデイ他)、偽りの情報を与えられ(与えたのは、かの有名な山下俊一長崎大教授や同大高村昇教授や経済産業省官僚)、結局どこよりも遅く、計画的避難区域という名前で全村避難することになる直前のことです。


そして、結局飯舘村民は、原発が立地していた大熊・双葉の人々より被曝量が多くなったと思います。なぜなら大熊・双葉の人たちは早々と避難していたから。

偽りでないというなら、なぜ後から避難させるのだ。最初は「安全だからいていい」と言っていたのだ。偽りなのだ。善意に考えても間違っていたのだ。


長谷川さんは、飯舘村の酪農家の中心人物で、飯舘村前田区の区長です。


飯舘村の酪農家は、餌がない中、売れない牛乳を絞り、それを捨てながら、何とか牛を生かそうとします。しかし、万策尽きて酪農を断念します。上の文章は、乳牛を屠殺に出す場面です。


自前の餌(牧草)はありました。しかし放射能で与えられなくなりました。他の飼育場への移動も禁止されていました。放射能のせいで。(長谷川さんたちの努力で、のちには移動可能になった)




表題の「人の命」とは、飯舘村に隣接する相馬市霊山の酪農家の友人が6月10日に自殺したことです。「原発さえなければ」という遺書を残して。



何と言うかわいそうなことでしょう。牛も人も。理不尽なことです。



しかし、この事態は、人が起こしたものです。原発事故を起こした人たち。



原発事故を起こしたのは誰でしょう。



原発事故という人類史に残る巨大な社会事象をとらえる能力は、私にはありません。また怠け者の私は、政府事故調や国会事故調等の報告を読む気力がありません。


しかし、折に触れ考えてはいます。もちろん、自分にも責任はあると思っています。誰にどんな責任があるかを考えることは、きわめて大切です。



今日の新聞では、帰還する除染目標1ミリシーベルト(年間積算被曝量)を20ミリシーベルト以下のどこかにするような方向が見えてきました。除染費用と賠償費用の圧縮のためでしょう。


理屈では、しきい値があるかないか、人体の回復力がどの程度かということにかかってくると思います。しかし、気持ちはまた別です。



福島民報でのコメンテーターは、「安全だ」と飯舘村民に言ったあの高村教授でした。