熊谷龍也「調律師」を読んで。

第一に思ったのは、熊谷の豊かな才能についてであった。

熊谷は、思いつくだけでマタギもの、動物もの、仙台もの、戦争もの、教師もの、開拓もの、青春ものなど多くのレパートリーがあるが、これは、調律師の話である。あたりまえであるが、良く勉強したと思う。

第二。あとがきがよくわからなかった。東日本大震災にあったのは、この連作短編の第二話を書いた後で、筆者は言う「大震災で全てはリセットされた。・・私は、以前と同じように小説はかけなくなったし、書く気もない・・・だからこの作品は、第6話目で大きく転調している」。・・・私の疑問は、何故第三作目で転調しないのかということである。
それだけ時間がかかったということなのだろう。大震災をうけいれるまでには。


第三。短編それぞれが面白い。共感覚者の主人公が他の人と奏でる気持ちのよい合奏といった感じか。主人公自身の過去も次第に明らかになる。そしてなくなった妻との関係が最後まで秘密にされる。


第四。第六話は、東日本大震災時の自分と仙台の様子が活写される。熊谷自身の実体験そのものであろう。私も当時のことを生々しく思い出した。ここから明らかに転調している。

第五。第七話は、最終回である。共感覚の秘密と妻の死の秘密が語られ、妻への愛が語られる。妻の愛もかたられる。そして主人公の再生への出発が語られる。死んだ妻との語らいは、あのNHK復興応援ソング「花は咲く」を聴くようである。


主人公の再出発は、大震災で家族を失った人の閉ざされた心、生き残った負い目からの再出発を応援する歌であるとおもった。
「自分を責め続けても前へは進めないよ。」いい言葉である。