僕の「内なる天皇制」 「にんげん蚤の市」

朝日新聞11月27日に森達也氏の「内なる天皇制」というインタビュー記事が載っていた。

若者(森氏が教えている明治大学生)に、天皇が権威として生きているという指摘があった。そして左派にも依存感情が生まれているのではといい、自分にもその心性があると白状している。

翻って自分はどうか。自分も森氏同様、米長棋士の発言に対する現天皇の発言に快哉を叫んだのは事実だ。そしてそのほかの現天皇の発言に「この人は、日本国憲法の精神が分かっている」と思っている。そして、現天皇は、現憲法の擁護義務を忠実に遂行しようとしていると思っている。政治家や一般国民以上に。そして、彼には、戦後の民主主義や平和主義に対して危機意識があるんじゃないかと想像している。こんな意味で僕は現天皇を尊敬している。



そんな風に思うことが、僕の「内なる天皇制」なのだろうか。そうではあるまい。ある総理大臣をあることで尊敬する、ある政治家をあることで尊敬する。それは、当り前だと思う。つまり天皇を公務員と見ればいいのである。もちろん違うところもあるが。(無答責、終身制等)


天皇の米長さんに対する発言は政治的発言であった。しかし、憲法擁護義務に基づいた立派な発言であったと思う。そんな発言をさせてはならないんだ。故に山本氏の手紙手渡しに対して、天皇の心を悩ませた悪い行為というのは正しい批判と思う。


しかし、自分と意見の違う人に、「天皇陛下がこう言っているぞ」と言いたい気持ちがある。これが僕の「内なる天皇制」なのだろう。こういう弱い心が誰にもあるから、天皇制は、戦後廃止すべきだったと昔も今も思っている。


天皇を頼ってはいけない。権威にしてはいけない。もちろん利用しちゃいけない。



自分の意見の補強に、ある権威の発言を使うということとどう違うか。分からぬ。今後良く考えていこう。


高峰秀子著「にんげん蚤の市」を読んだ。その中に現天皇皇后陛下のご成婚記念切手の話がある。

彼女は言う。「一国の象徴である天皇ご夫妻のお顔に、郵便局員の手でポン!と黒いスタンプが押されることを思うと、とてもじゃないけどこの切手を使うことは私には出来ない」


どうだろう。そこまで考えるか考えないか。考えて使うことができるかできないか。これもまたおもしろいな。踏み絵を思い出すなあ。

郵便局も賢いな。使う人少ないだろうから、儲けだ。もっとも記念切手は皆同じか。


この本の中にヘビの話がある。

彼女は、ベランダに鳥がやってきて糞で汚すのに困っていた。そこでお店に相談したらプラスチックのヘビを置けばよい、とのこと。ハワイにはヘビがいないので半信半疑でプラモのヘビを置いたら、鳥たちはほんとに来なくなったとのこと。


やっぱり、DNAには、過去の先祖の記憶が残るのか。

ハテヘイさんのブログを思い出しました。