「国の芯」と憲法前文

井上ひさしの戯曲「兄おとうと」の中に「国はなにを芯にして一つになるのか」という議論が出てきます。

吉野作造は、日本民族説や言葉説やこめの文化説や歴史説、これらを事実に基づいて否定し、最後に、こう言います。


「ここでともに生活しようという意思だな」
「ここでともによりよい生活しようとする願い、それが国のもとになる」
「そして、人々のその意志と願いを文章にまとめたのが、憲法なんだ」

日本国憲法前文の第一センテンスをあげてみます。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、我が国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」

この日本国憲法前文に、日本国民の「意志と願い」が明確に示されている。「代表民主制で行動しよう。諸国民と協和しよう、自由を確保しよう、政府による戦争の惨禍が再び起きないようにしよう」「こんな国を作れるのは国民だ」「こんな中味を持つ憲法をつくったよ。」

自由民主党憲法改正案(2012年4月)は、前文第一センテンスはこのようにあります。
「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権のもと、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される」

自民党憲法改正案第一センテンスには、日本国民の意志というのが示されていません。「日本国民は、」と「日本国は、」には大きな違いがあります。自民案では、日本国がこういうものだと規定していますがそれは、だれが決めたものだと明示していません。つまり国民主権という言葉があっても、国民主権を認めたくない気持ちが表れていると思います。

も一度主語と述語を確認しましょう。

憲法:日本国民は、・・・・この憲法を確定する。
自民案:日本国は、・・・・統治される。

憲法では、日本国の在り方(人々の意志や願い)は、日本国民が決めたと言っています。自民案では日本国の在り方が、誰が決めたか明示していません。

この一点だけでも、私は自民案を選びません。最も大事な憲法前文第一センテンスで、私は自民党を決して支持しません。