逃げる若者と迫る国家

安部内閣は、12月17日国家安全保障戦略(NSS)と防衛大綱・中期防衛力整備計画を閣議決定した。

NSSの「Ⅲ国家安全保障上の課題」の最後の「6国家安全保障を支える国内基盤の強化と内外における理解の促進」の(3)社会基盤の強化にこうある。

>国民一人一人が、地域と世界の平和と安定を願いつつ、国家安全保障を身近な問題として捉え、その重要性や複雑性を深く認識することが不可欠。
諸外国やその国民に対する敬意を表し、我が国と郷土を愛する心を養う・・・以下略<

私自身、「地域と世界の平和」を願っている。国家安全保障を身近な問題と考え、それは重要だと思い、その複雑性に悩んでいる。諸外国やその国民に敬意を表したいと思うし、我が国と郷土を愛したいと思う。(盲目的にでは決してない。)

しかし、そんなことは、内閣に言われたくない。内閣=政府が「心を養う」なんておこがましい。内閣=政府=議会多数派・官僚(=国家権力)なんて、自己中の塊としか思えない。そんな人々にいわれたくない。いうべきでもない。

さて、権力にとっても大人の「心を養う」のは少々難しかろう。だとすれば、子どもの「心を養う」こととなる。戦後自民党政府は、その手は着々打ってきた。第一次安部政権の教育基本法改正が大きな成果であった。(2006年)

教育基本法
教育の目標第二条の5
>伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う<

これらの文言は、言葉的には問題ない。

しかし、国家がこれを教育に生かそうとすれば、100%国家の恣意が入る。

伝統って、いつの伝統なのか?江戸時代なのか、明治以降なのか?戦後なのか?その時代の何が伝統なのか。
現政府は、中国・韓国をどう見ているか、尊重しているんだろうか?
戦前、東洋平和を目指して中国と戦争を始めたんじゃないっけ?

これに答えようとすると、ほら恣意が必ず入るでしょう。

さて若者たち。古市憲寿氏の「絶望の国の幸福な若者たち」で知りました。戦争が起こったら逃げるというのが現代の若者の大半とか。

明治初年、徴兵制がしかれた時、日本国民は何とか兵隊にとられないようにと努力する国民であった。「徴兵逃れ」のハウツー本がベストセラーだったそうだ。その数十年後、軍国日本に疑問も持たず、お国のために命をささげる国民が出来上がった。

現代の若者は逃げるかもしれない、逃げることが可能かもしれない。しかし君の子や孫は
どうだろう。