俺たちは何をしてきたんだろうー森詠「はるか青春」を読んで

俺たちは何をしてきたんだろう?これが森詠の「はるか青春」を読んだ感想でした。

森詠著「はるか青春」は、1968年から1971年頃の若い編集者を主人公とする短編小説集です。帯には、「毎日が現代史だった、濃密な時代を描いた自伝的小説」とあります。主人公と同年代またはも少し若い世代を描いています。

その濃密な時代とは、「高度成長時代後半の半ばごろ、日本のGNPがドイツを抜いて、世界2位になったころ、世界中で若者の既存体制へ挑戦があったころ、反戦平和(特にベトナム戦争)、公害反対等の市民運動が盛んだったころ、社会主義の理想がまだ生きてた頃、非武装平和の理想がある程度生きていたころ、安保改定前後、沖縄本土復帰前夜、市民が若者が学生が現実の動きに大きくかかわっていたころ」、・・・いくらでも言えますが、それは何も言っていないようでもあります。


たとえば、沖縄。この本には「核ぬき、基地本土並み」という言葉がしばしば出てきます。当時は、日本国民に戦争反対の気分が強く安保廃棄の考えも有力にありました。学生も安保反対の中心勢力でした。政府は、安保自動延長・「核抜き、基地本土並み」沖縄返還で乗り切ろうとしました。反対運動は結果として盛り上がらず、自民党政府の目論見どおりになりました。

数年前民主党政権下「核抜き」のウソが明確化しました。今、秘密法のアリバイ作りに安部自民党政権もそれを認めるようでありますが、40年たっています。民主党への政権交代がなければ、ウソは灰色のままだったでしょう。
「基地本土並み」、何と言うウソでしょう。今もってお金と権力で迷惑施設を沖縄県民に押し付けている。当時の政府のウソのままです。

私は、1970年に20歳の学生でした。いわゆるノンポリでして、大した活動をしませんでした。デモに数回参加した程度でした。しかし、戦争反対・安保条約反対・基地反対の考えでした。安保当然、基地当然、アメリカと一緒に戦うのも当然、日本国が攻撃されてなくとも戦うことを当然にしようという現政権を考えると、私たちは何をしてきたんだろうと思います。

私たちと言いましたが、それは成り立つ言い方なんでしょうか。「はるか青春」では、全共闘運動を周辺からその崩壊の断面を描きます。私は社会主義の理想を自分の理想と考えてました。その意味で全共闘運動に共鳴するところがありました。

しかし、彼らの武装闘争は、お遊びに見えました。権力に勝てるはずもありません。職業を持ってからの運動こそホントなんだと思いました。さて仕事についてどうだったか。職場人員の10分の1も所属してない弱小組合(憲法体制擁護)に属して、しかもそう積極的に活動したと言えません。

今の状況=労働力流動化政策、非正規労働の拡大、ワーキングプアの広範な存在、格差の拡大、ブラック企業の存在、・・・かつて激しく否定した「資本の搾取」そのものでしょう。私たちは何をしてきたんでしょうか。

私たちと言えるのか。私たちとは誰なんでしょうか。寮の全共闘(だろうと思っていた)の先輩は、医学部教授となりました。どんな折り合いをつけたのかなあ。まあ、人のことはどうでもいい。

どうも、頭が混乱します。

でも、俺たちは何をしてきたんだろうという問いは、自分のこころから消せません。

そんなことを苦く考えさせる本でした。

尚第5話の武闘派の若者が武闘より恋を選んだ話にほっとしました。