教科書採択で、文科省が沖縄県竹富町に直接圧力をかけはじめた。
それは、越権行為である。
戦後の文部省・文科省は、指導・助言機関である。それは戦前、教育を国家が支配して結局戦争の惨禍をもたらした経験への反省による。その根本には、国民は主権者であって、政権や行政以上の存在と言う民主主義の基本がある。もちろん子どもは将来の主権者だからである。
地方教育行政法(教科書は自治体が決めるべき)と教科書無償法(教科書は広域自治体連合が決めるべき)という法律上の不整備もある。そのどちらを優先するかは、どちらの議論も成り立つと思う。
問題はこういうことと思う。東京書籍の教科書を使うか、何とかという教科書会社の、スパイボーイさんの言う自慰史観の教科書を使うかということである。
文科省は自慰史観の教科書を使えと言っているのである。文科省が自慰史観の教科書の方がいいと言っているのである。文科省が思想統制に乗り出したということである。
それはよくない。政権や行政は、国民を思想統制してはいけない。
もちろん竹富町もその教委も権力・及び行政である。町民の子弟の思想統制をしてはいけない。そこは留意しなければならない。
現制度では、ある教科書を使わねばならない。それぞれ偏りがある。個性と言ってもいい。それはあっていい。だから教室には習う教科書と別の教科書を一冊おくべきである。教師は、別な考えを提示すべきである。原発安全神話ばかり宣伝して失敗した愚を犯さぬように。
東京書籍の教科書は、50%以上のシェアを持つ。日本全国の教科書採択自治体連合がそれぞれ独自に選んだ教科書である。竹富町はそれを選んだ。それを否定する文科省は、全国の自治体連合の選択を否定したいのである。
竹富町は、法的にも教育的にも間違っていない。