古市憲寿「誰も戦争を教えてくれなかった」感想文

世界各地の戦争に関係する博物館をめぐった筆者の見学記である。それと戦争に対する考察がある。以下それを読んだ簡単なまとめ(自信はない。)と自分の感想を書く。

簡単なまとめ

序章 ハワイのアリゾナ記念館(真珠湾攻撃
   ・・さわやかで楽しい戦争記念館だった。
1章 
前半は、南京大虐殺祈念館
・・虐殺数30万人の数字の強調。日本軍の残虐さと中国共産党の寛大さを宣伝。 
後半は、一般論 
1.歴史記述は恣意的になるから、戦争博物館も恣意的なものとなる。その宣伝効果のためデイズニーランド化する傾向。
2.近代国家は戦争のために存在する。
3.戦争は楽しいものと言う面がある。楽しい戦争博物館も当然ありだ。
4.日本の戦争博物館は、性格がきわめてあいまいになっている。その理由は、日本国の戦争に対する姿勢がはっきりしていないせいだ。

2章
前半は、ポーランドアウシュビッツとドイツのザクセンハウゼン博物館中心で、どちらも本物をそのまま残そうとする姿勢が顕著。
後半は、
1.イタリアで、ローマでは戦争博物館を探すのが難しかった。
2.イタリアは、第二次大戦では敗戦国、かつ戦勝国
3.博物館も式典も戦争を閉じ込める機能をもつ。

3章
中国の旅と言う題。(本多勝一を意識?)小説に良くある著述方式。戦争博物館見学から離れる。
1.東北(旧満州国)では、旧日本建造の建物を利用し、戦争を観光産業化している。
2.日本の加害を強調するが、復讐の炎を燃やすしているわけではない。
3.日本同様、中国も戦争から遠く離れたと言う感じを受ける。

4章
韓国の戦争博物館について
1.K−popは巧妙に日本に浸透。植民地時代の日本の文化浸透政策は下手。
2.天安市の独立記念館は、東京デズニーランドの8個分。世界最大かも。7つの博物館を持つ。踊るイベント、射撃コーナー、朗読等体  験型でデイズニーランド化している。日本の侵略とそれに対する独立運動中心
3.ソウル博物館は、戦争や兵士が主役。朝鮮の歴史全般で日本の侵略は一部。軍隊の力によって平和は保たれると言うことを強調。
4.新しい博物館は、日本たたきより日本無視。日本のウエイトが多くの面で低下。しかし竹島は別。熱く竹島を自国領土と主張
5.韓国と日本はかなり違う。親近感はイリュージョンだ。
6.ダークツーリズムは、究極の非日常でありその意味で旅の本質にかなう。ワクワクするレジャーである。

5章
再び日本について
1.沖縄県平和祈念資料館は、論争のある部分は玉虫色の解決。
2.平和の礎は、死者を区別することなく普遍化している。
3.ひめゆり資料館・旧海軍司令部豪も含め、沖縄は戦跡を残すより、整えることに熱心。
4.靖国神社にある遊就館は、戦争肯定史観と批判されるが、それほど声高に戦前日本を正しいと主張してはいない。
5.理念的に対立する沖縄県平和祈念資料館遊就館も、その他多くの戦争(平和)博物館も乃村工藝社制作だ。
6.博物館をつくることや教科書をつくることは、大きな記憶を作ることであり、それは個々人の記憶=小さな記憶を取捨選択したものである。
7.現代を生きる若者と戦争をつなぐものは、お金。

6章
古市戦争論のまとめ
1.戦争の歴史全体の中でアジア・太平洋戦争=あの戦争を相対化して見る視点も必要。
2.あの戦争は近代国家時代の総力戦と言う歴史性を持つ。国家成立以前はもっとひどい殺戮あり。
3.いまは、国民国家の崩壊過程にある。
4.戦争の形態も、テロ集団の挑戦、戦争の民営化(軍事会社)、ロボット=無人化等大きな変化がある。
5.今日本に戦争が起きても、徴兵制・学徒出陣・塹壕戦など起こらない。総力戦の確率も低そうだ。
6.あの戦争の作った制度が戦後の社会を作った面もある。
7.あの戦争の内実は人により違う=様々な小さな記憶。戦後アメリカの指導のもと大きな記憶=侵略戦争と言うものがつくられた。
8.戦争(平和)博物館もエンターテイメント性をもつべきだ。戦争肯定でも戦争否定でも。
9.あの戦争は遠くなった。今は、長く続いた「平和体験」から思想や政治を作っていかねばならない。
結語
>背伸びして国防の意義を語るでもなく、安直な想像力を働かせて戦死者たちと自分を同一化するでもなく、戦争を自分に都合よく解釈しなおすのでもない。
戦争を知らずに、平和な場所で生きてきた。そのことを先ず気負わずに肯定してあげればいい。大切なことは、こんな風にきっと素朴でシンプルなのだと思う
好きな子がいるよね。
ベットタイムは邪魔されたくない
ウイークエンドの予定も変えたくない
知らない誰かのせいで
未来を決められたくない<

・・・まとめ終わり・・・
感想
1.戦後の長く続いた平和は、そこにあったものではない。作られたものである。その時々の戦争を忌避する人々の思いが作りだしてきたものだ。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こらぬように決意し」(憲法前文)、その時々の国民が行動して平和を維持してきたのだ。
行動しなくとも、戦争を忌避する思い=大きな記憶がなければ、日本は、米国の戦争=朝鮮戦争ベトナム戦争・アフガン戦争・イラク戦争に参加していたであろう。警察予備隊自衛隊が参戦していただろう。古市君、平和は君にとってはあったものであろうが、それは当時の日本国民が作りだしてきたものだ。
アジア太平洋戦争は侵略だと言う大きい記憶以上に、戦争はいやだと言う大きな大きな記憶がある。
古市君、君は一人の若者として、少し影響力のある評論家(学者?)として、今現在日本の今後を作っている。それを自覚すべきと思う。
君は、日米安保が、日本国民を戦争へ導く可能性のたかいものか、抑止力として戦争を防止する可能性が高いものか判断しなけりゃならない。それを発信しなけりゃいけない。集団的自衛権もどちらなのか判断して、安部政権に賛成するか反対するか意見を表明しなけりゃいけない。
戦前の歴史は、君のような個人生活優先思想を排除しつつ全体を戦争へと流していったことを明示している。高みの見物は出来ない。

古市君、ベットタイムは邪魔されたくない<自衛戦争はやむなし<同盟国のため戦うのは自衛戦争、とならないだろうか。

古市君は、戦争が起こった場合、ベットタイムを自由に確保できる人と、他人のそれを確保するため命をかける人があって良いと考えるのかな。
良いと考える根拠は何かな。ロボットが戦ってくれるから?

2.あの戦争は、資本主義の全般的危機に対して資本主義国家同士の生き残りの戦いと言う面と、資本主義国家と植民地のナショナリズムの対立という面を持つと思う。資本主義の全般的危機の再来する可能性はある。近代国民国家は現存する。ナショナリズムの対立の炎の種は常にある。しかし、戦後近代国家間の本格的戦争はなかった。それは戦争忌避という人類の大きな記憶が阻止したものと思う。

3.確かに戦争の姿は変わりつつあるだろう。それは人の命をかつてほどは要求しない可能性がある。一方、テロ、核兵器化学兵器生物兵器を考えると、かつて以上に命を要求する可能性もある。戦争がロボット間で戦われても、双方の不愉快な気分や不利益をもたらす。尖閣国有化の時の日中の人々の反応を見よ。もし憎悪が拡大するなら、テロや大量殺戮兵器使用に至るかもしれない。

4.戦争の楽しい面と言うのは、よく考える必要がある。アジア太平洋戦争で考えると、それはゲームとしての楽しさ・権力欲(政治・軍事指導部)、勝つ楽しさ・誇らしさ(初戦の日本国民)、景気の良さ(初戦の日本国民)、儲ける楽しさ(軍需産業等)、破壊・残虐性の楽しさ(軍人)などとなろうか。私にも想像はできる。
しかし、他人に苦しみを与えての自分の楽しみなんて、ホントに楽しいか。他人はどうだっていいのか。想像力というものがある。良心というものがある。他人が楽しければ自分も楽しいと言うのがホントに楽しいことじゃないの。

5.アジア・太平洋戦争と言う言い方は、あの戦争が侵略であったと言う概念を含むものである。大きな記憶は確定している。一方、それを否定する政治家もいる。それを許す国民がいるのも事実である。古市君、君はどうなんですか。一人ひとりの意思により、歴史は今も作られている。

6.戦争博物館の多くを紹介してくれてありがとう。戦争博物館にエンタメ性があっていい、なんてなるほどとおもった。日本の平和博物館のあいまいさもなるほど思った。何かで読んだが、日本の場合「被害者と言う面の強調で贖罪をしている」という主張をなるほどと思いだした。中国・韓国の戦争博物館の様子も知ることが出来て良かった。それを見てこうおもった。侵略(少なくとも、他国に兵を出したこと)は事実故、否定すればするほど日本国民に不利益になる。日本国に不利になる。否定はまずい。侵略と言う行為をひたすら謝れば良い。そして戦後日本を誇ればよい。それは中国の侵略への強い抑止力となる。

7.戦争(平和)博物館は、基本的には誰かの何かの目的で作られたものである。戦争の実態は、そこにはない。どこにあるのか、
それは難問である。私は、戦争当時生きた人全ての小さな記憶の総体にあると思う。しかし、総体なんぞ、誰も触れられない。盲目の人が象をなでているのである。しかし、戦争当時生きた人の声は聞くべきである。それは、盲目の人(戦争を生きた人)が盲目の人(現代の私たち)に必死に伝えたメッセージである。
「きけわだつみのこえ」には、>知らない誰かのせいで、未来を決められた<青年の苦悩の声がある。

「きけわだつみのこえ」「戦争」上下(朝日新聞談話室)「日本戦没農民の手紙」・「あの人は帰ってこなかった」(岩波新書)など、
古市君の言う>安直な想像<なんて出来ない。想像する必要もない。ストレートに心に響く。

8.最終章、モモクロとの対談は面白い。モモクロは基本的戦争情報をまったく知らない。しかし、本質を感じ取っている。
モモクロ「戦争はいやだ」、れに「みんな死ぬってイメージしかない」、彩夏「いろいろ規制されてさ、生き残っても栄養失調で死んじゃったり」
古市が「ロボット兵士=戦死が少なくなる」ことを言ったのに対して、れに「でも、誰かは死んだり、自然が破壊されたりしちゃうんでしょ」彩夏「戦争が起こって、まいっか、と思うのっていやだよね。」
詩織「戦争経験者がいなくなったら、本当の真実が分からなくなる」
彩夏「国にもっと大切にしてほしいなって思っちゃう」
夏菜子「だって戦争がおこっても、絶対偉い人は行かないし」
れに「国がなければいいのにね」

ここに戦後日本国民の意思表明がある。ここには、あの戦争でなくなったり、苦しんだ日本国民の遺志が生きている。
頑張れモモクロ!君たちは正しい。憲法の精神で生きている!日本の希望である。安倍や北岡なんぞよりはるかに日本国民のためになっている。(そんなことを思いますが、私は歌手?としてのモモクロという人たちを全く知りません。)