律儀の美しさー「黒書院の六兵衛」

浅田次郎「黒書院の六兵衛」を読んで思ったのは、律儀と言う言葉でした。

江戸無血開城の時、的矢六兵衛という旗本がただ一人、状況がどうなろうと、誰に何と言われようと、かれ本来の将軍護衛の任務を尽くして一言もしゃべらず、頑として江戸城内詰所から動かないと言う大人の童話。

「動け」と説得するのは、俄か官軍に任命された尾張藩の徒歩頭加倉井隼人(副主人公)、六兵衛の直接の上司、他有名人多数。西郷隆盛木戸孝允大村益次郎板垣退助勝海舟福地桜痴徳川慶勝尾張藩藩主)、誰に何を言われても六兵衛はしゃべらない、動かない。

最後は、徳川本家を継いだ「上様」が登場し、最後の最後に明治天皇が登場して、六兵衛は、江戸城を下番する。この場面では、六兵衛は、千年の武士の魂の様である。

この六兵衛は、金で旗本株を買った人物である。しかし、最後まで正体不明かつ、動かない目的も明かされないので、ミステリー仕立ての面白さがある。また、随所に落語的ユーモアがあって面白い。

この騒動の中で、徳川慶喜以下の幕府役人上下の、積年の不誠実さが示される。それと対照的なのが、六兵衛の律儀さである。武士はこうあらねばならぬ。何のいいわけ、要求も説明もせず、己を無にして、己が職務を遂行する。美しい。そして感動的である。

浅田の小説には、このような人物が多数登場する。一本筋が通ったと言うか、大義に生きると言うか、自分を捨てて生きると言うか、律儀と言うか、そんな人間が多数存在する。


何故我々はこういう人物にひかれるのだろうか。自分を第一に考え、状況にあわせて右往左往して生きるのが我々だからなのだろう。

しかし、それはやむをえないことでもある。
自分の生活のためには、いやなことも飲み込むこともある。思ったことを言えないこともある。筋を通せないこともある。切羽詰まったことだからだ。だからこそ律儀な人に憧れる。それは、理想と現実の間に苦しむと姿ともいえる。


翻ってわが安部日本国首相。不誠実極まりない人物と見える。見苦しい。少なくとも苦しんじゃいないね。かれは。へらへらしてるばかりだ。

自民党総裁なら自民党憲法草案を国会に提出出来るよう努力すべきだ。それなのに、初めは憲法96条改正を目指して、だめなら憲法解釈を変えて集団的自衛権を行使したいと言言い出す。不誠実な人物だ。96条改正の大義は国民参加。解釈改憲は、国民排除じゃないか。
真逆だろう。

大体日本国総理大臣なら、日本国憲法にのっとり平和的方法で平和を作る方法を律儀に求めるべきだ。それは苦しいことだろう。
しかし、憲法は、それをあなたに命じているんだ。
アリューシャンからハワイ、太平洋一円の、中国大陸・東亜全体の大日本帝国と帝国の戦争の犠牲になった死者が命じているんだ。(なんか浅田のような言い方になっちゃった)

安倍さんは、自分の意地のためへらへらと屁理屈を述べている。自国民のホントの安全を考えているかい?自衛隊員の命を軽く考えてないかい?


安倍さんは早く首相を辞めて、米国の軍事会社に勤めればいい。


現代の国会議員も官僚も司法職員も多くは、幕藩体制崩壊の時の幕府役人のように見える。無責任で他人任せで自己保身にきゅうきゅうとしている幕府役人。


今私は戦後憲法体制の崩壊の時を迎えているような気がする。六兵衛程でなくて良い。公務員は、律儀に生きて欲しい。

自民党国会議員は、これまでの解釈で生きてきたのじゃじゃなかったのかい。おかしいだろう、黙っているのは。一人ひとり、どうして自分は解釈を変えるのかいうべきだ。自分の頭で考えないのかい。政権にいた方が自分に利益があるから?そんな不誠実な人は、国会議員を辞めてください。


主権を持つ国民が頑張るしかない。

こうなりゃー、日本維新石原派など安倍氏に近い人たちで国会で3分の2を占めて憲法改正の発議をしてほしい。9条だけでいい。集団的自衛権を認めると言う文言を入れて。

その時こそ、私は、微力ながら同じ国民を説得しよう。全力で。9条を守った方がいいと。(平和的手法による平和維持、最悪でも専守防衛