「藤野先生」は、魯迅の「阿Q正伝」と言う短編集の中の一つである。
この短編集を読んだ感想は、辛亥革命前後の中国国民のひどい心の荒廃である。
「藤野先生」は、魯迅の仙台留学中の思い出をつづった随筆?である。その一節を紹介する。
>だが私は、やがて中国人が銃殺される情景を参観するという運命に巡り合わせたのである。・・中略・・もちろんそれは皆、日本がロシアに先勝する場面であった。だがあいにく中国人がその中に混じっていた。ロシア人のためにスパイをやり、日本軍に捕らえられて銃殺されるところであった。それを取り巻いて見物しているのも一群の中国人であった。教室には、そのほかに一人の私もいた。
「万歳」と彼らは皆手をたたいて歓呼した。・・中略・・その後私は中国に帰ってきて、犯罪者ガ処刑される場面を面白そうに見物している人々を見かけたが、彼らも酔えるごとく喝采しないことはなかった。<
日本軍に処刑される中国人を同じ中国人が拍手喝采するー何と異様な光景か。
犯罪者が処刑されることに拍手喝采するーこれまた何と異様な風景か。
代表作と言われる「阿Q正伝」の最後も同じような描写で終わる。阿Qが革命分子として処刑された後、民衆は、
>銃殺は首切りより面白くない<
>あんなに引き回されながら、芝居歌の一つも歌えなかった<と言う。
詳しく述べないが、主人公阿Qもひどい。彼を罪に落とす役人もひどい。村の有力者もひどい。彼らを取り巻く民衆もひどい。
魯迅が描写した中国人に比べ、現在の中国人は、格段に素晴らしい。その進歩を隣人として日本人は祝福すべきである。
戦前の日本は、中国の不幸を増加させた。力で自国の利益を追求した。
現在の中国政府は、力を持ったことから、力の信奉者のように見える。言い分は、我田引水の類であり、かつ厚顔無恥である。
私は、中国は戦前の日本と同じ間違いをおかし始めていると思う。日本は失敗の先輩として中国に「力による自国の利益追求の犯罪性」を示すべきと思う。
そのためには、戦前の日本の失敗を認めたがらない安部政権を倒さねばならない。
それが日本にも中国にも東アジアにもいいことである。