今年もまた、全国学力テストの県別の順位結果が公表された。市町村や学校ごとの順位発表は、各自治体に任せられている。私は、県レベルから各学校レベルまでいずれでも、全国学力テストの順位結果の発表に反対である。その理由を述べる。
(1)順位を公表する目的は何だろうか。文科省は、県別の順位を公表して各県ごとのガンバリを期待するのだろう。都道府県は、各市町村のガンバリを期待するのだろう。市町村は、各学校のガンバリを期待するからだろう。
さて、公表により、各都道府県や市町村や学校の関係者は頑張るだろうか。頑張るのである。今日のTVでわが福島県の教育関係者は、「ガンバリの成果が上がった」と言っていた。沖縄県でも静岡県でも同じである。・・・皆、頑張るのである。
(2)頑張るのは何故か。それは、県知事・自治体の首長・教育委員会・学校の先生が、負けたくないと思うからである。頑張るのである。その結果、大人も子供もこのテストがとても大事なものと思ってしまうことになる。しかし、このテストは、たかが小学校六年・中学三年の国語と算数・数学の知識・思考力のテストである。
(3)何故、たかがと言うか。もっと大事なことがあると思うからである。
教科でいえば、国語・算数・数学以外に理科・社会・英語・芸術・技術・体育がある。そのほか、部活動もあるだろう。友達づきあいなど、もっと大事なこともあるだろう。
今日の出勤時、東北放送ラジオで、大学生の就職戦線の話を聞いた。そこでは企業が要求する最も大事な能力は、コミュニケーション能力と行動力と言っていた。
教育は、日本国民の今と将来の幸せのためであろう。幸せに生きるためには何が大切か、そこから考えなくちゃならないのだと思う。
幸せに生きるためには、コミュニケーション能力も行動力も大事と思う。
そのほか私は、少なくとも自分のことばかりじゃなく他人のことを考えることは、幸せに生きるのに一番大事なことと思う。そういう人が多ければ、日本国民全体が幸せになる。
とにかく、幸せに生きるためには何が必要かをいつも考えなくちゃならないんだと思う。
しかし、学力テストの結果に一生懸命になるということは、教育の中で、幸せに生きることの意味を考えることを軽視してしまう。このテストの点数が最も大事なことと子どもに教えることになると思う。
それは、本人と日本国民全体の幸せを阻害する。
(4)知事も市長村長も国語・算数の能力が高いから首長になれたとは思わないだろう。先生方も、あるテストの結果以上に大事なことがあると知っているだろう。そこを考えなくちゃいけない。難しくとも考えなくちゃいけない。あるテストの結果に一生懸命になるのは、簡単なことだと思う。もっと大事なことがある。
(5)頑張るのは、競争があるからである。競争を否定はしない。しかし点数の競争ばかりでないこともまた自明と思う。
また競争と言うあり方と同時に共同や助け合いと言うのも大事なことである。学力テスト順位公表は、競争に偏っている。
競争は、変な優越感や劣等感をもたらす面がある。優越感も劣等感もその人の発達を阻害する。
止めよう、学力テストの順位発表は。