日本のつつましい美しさー「脊梁山脈」を読んで

日本のつつましい美しさなんて、大それた題を付けてしまいました。

この大それた題は、乙川優三郎の「脊梁山脈」を読んだ印象からです。この小説は、主人公の戦後の再生がテーマと言えそうですが、そのほかにもいろんな読み方が出来る小説でした。

主人公谷田部信幸の心の傷はなんでしょうか。自分が生き残ったという罪の意識、戦後中国官憲に戦犯として追われ自決を覚悟した恐怖(その結果手が震える後遺症が残る)、失ってしまった人生の希望等でしょうか。困窮した生活を救ったのは、父が残した遺産(株券)と叔父の遺産でした。そして彼は、復員列車で出会った引き揚げ兵を探し求めます。その中で、
木地の工芸品と木地師に出会い、生きがいを見つけていきます。木地の図録作成です。

戦後の再生と言えば、多くの人の戦後の再生もこの小説には描かれていると思います。日本そのものの再生の描写という感じも受けました。敗戦直後の描写は、秀逸だと思いました。朝鮮戦争と言う他国の不幸が戦争特需をもたらし、それが日本の経済復興に役立つことも描かます。高度成長前半の雰囲気も良く描写されています。やはり日本の再生も描いていると思います。

二人の女性への主人公の愛も描かれています。この女性二人は、対照的感じを受けますが、強さと言う点では、共通します。

画家の両親を持つ佳江。父親は空襲下、佳江の命を助けて犠牲になります。母親は、別な画家の男性と逃げます。そんな境遇を持つ佳江は、戦後ガード下の店から、ある程度の店を持つようになります。しかし、両親の血を受け継いだ画業の達成を求めてヨーロッパへ行きます。ただ一人で。強い女性です。この人も再生の道を歩んでいくと言えるでしょう。

も一人の女性多喜子は、木地師の娘として主人公の前に現れます。しかし、彼女は両親を戦争で亡くし、遠縁の木地師の家に引き取られたと言う女性です。彼女もまた強い人です。清元節の芸で一人で生きて行こうとします。どちらの女性も、知的で自立していて魅力的です。

この小説のもう一つのテーマは、古代日本史の再解釈の提示と木地師の存在と言うことです。古代日本史のことは読んでいてわかりませんでした。しかし万世一系天皇という観念を否定する内容と思いました。蘇我氏が実は大王家=後の天皇家だったのではと言う仮説は面白いなと思いました。木地師が実は天皇家と極めて密接な関係があるのではないか
という仮説も面白いと思いました。木地師たちが近畿から東北へ向かう途中、菊花紋のお墓を残したなんて面白い発想と思いました。主人公谷田部がその墓を発見する場面は感動的です。日本人の中に多くの朝鮮系の血が流れていることも強調していました。過去の朝鮮蔑視や現代の嫌韓への批判も含まれているのかなと思いました。

武士の時代長く雌伏した天皇家は、明治以降日本国の脊梁となります。その大日本帝国は、弱肉強食の時代、欧米に伍して朝鮮・中国を蔑視し軽視して侵略してゆきます。その行きついた先が、未曽有の敗戦でした。谷田部や佳江や多喜子の運命でした。多くの日本国民の運命でした。
戦後の経済復興は、日本の再生の道です。しかしそれは一つの道でしかなかったんじゃないかなと思いました。
木地の素朴さと美しさ、木地師たちの自然の中での生活、純朴さ、お互いの温かさ。それに象徴される日本のつつましい美しさも日本の再生の道だったんじゃないか、そんなことを感じながら読みました。
天皇家と言うきらびやかな表の歴史と天皇家から外れた木地師たちの自然に溶け込んだつつましい美しさ。

声高な言葉だけの美しさ(たとえば「大東亜共栄圏」、たとえば「積極的平和主義」)
それらには実質はありません。醜さを隠す虚飾です。それと対極にあるつつましい美しさと言うものがあるのではないかと思いました。

ただ、主人公が木地師文化の保存や再生と言う浮世離れしたことのできる基盤が、親やおじの遺産からの株や会社顧問料と言うのが皮肉ではあります。

秋たけなわになってきました。清澄な大気の中、秋の草花がつつましく咲いています。
それもまた美しい。