空間線量8.7μシーベルト毎時

妻と娘を誘っていわき市ハワイアンズへ行った。つい最近開通になった国道六号線
を通ってである。

車の中にホリバ製の線量計を備え付けてである。南相馬では、0.1〜0.2μシーベルトである。浪江でも0.3前後である。双葉でも0.5〜1.2である。しかし大熊町に入ると一気に高くなる。夫沢では、行きで7.6、帰りで8.7μシーベルトをカウントした。夫沢は、福島第一原発へ行く入口である。爆発した福一から3キロぐらいだろう。車内は、窓を閉め外気を入れず「循環」にしていた。大熊から少し行った富岡で、外に設置されてある線量計と車内の線量計の数値には、2倍の差があった。そこから推定すると、夫沢は、15μ〜17μシーベルト毎時である。(絶対、夫沢に線量計を設置しておくべきである)これで除染した後なのだからねえ。
勿論、浪江・双葉・大熊・富岡では、この6号線からわき道に行くことはできない。バリケードがあるか、警官が立っている。除染が進んでいないからだ。もっと高い地点も多いのだろう。
同じ警官が夫沢に一日8時間たっていると年間被曝量が50mシーベルト程度になる。恐ろしい数値である。自転車・バイク・徒歩で通ることはできない。車でだって、通って良いと言っていいのか?無責任じゃないか?もっともっと低くしろよ。


南相馬から浪江に入ると田んぼに車が逆さになって放置されていた。三年前のあの日のままなのだ。原発事故で復旧がひどく遅れている。南相馬〜広野のほとんどの田畑は、セイダカアワダチソウの天下である。黄色い穂が揺れている。それは美しい。がホントは、収穫の終わった田んぼの豊かさが青空に映えるところだったんだ。

6国(国道6号線)には、「獣注意」と言う看板がいっぱいある。動物が野放しのため車と衝突する危険があるからだ。「牛衝突」と言う看板があった。飼われていた牛が野生化したものだ。
そうしてあの有名な看板。「原子力 明るい未来のエネルギー」があった。6国から双葉町へ入る道路に。まったく、ブラックユーモアだ。

帰りは暗くなった。大熊・双葉・浪江はもちろんだが、南相馬市小高区まで戻ってきても
人家に明かりはない。多くの家が立ち並んでいるのに明りがない。玄関に明かりついてる家はある。盗難防止のためだろう。街灯もついてる。しかし人家に暖かい明りはない。
映画「男はつらいよ」で寅が、孤独な夜汽車の旅窓から見る、あの暖かい家族の明りがないんだ。

「死んだ町」とか言って辞任した民主党の大臣がいたが、今でさえこうなのだから、あの頃は死んだ町そのものだろう。ホントのこと言って何が悪い。目をそらすな。町は今だって死んでるぞ。外見はちゃんとした家並みに、人が一人もいないんだぞ。・・・町を殺した人がいるんだ。そこから目をそらすのが、あの言葉狩りじゃなかったか。

大熊の六国から東側(海側・原発側)は、中間貯蔵施設のため国有地化を進める方針が確定した。まだ住民との話し合いがついていないが。昔から住んでいた普通の人が普通に住む町は消える。政府は、金目発言の通り、カネでかたを付けるつもりつもりなんだ。住民もカネの条件闘争になっていくだろう。しかし、あそこで生活できない人に条件闘争をするななんて絶対言えない。そこを金目と言うことの罪深さ!
町を殺したのは原発政策だろう。カネでかたを付けるのはやむをえないだろう。多くの金をよこせという住民の気持ちは当然だ。それを政府側は「金目」なんて言う資格はない。住民にカネいらないから元に戻せと言われたら、元に戻せるのか。出来ないだろう。既に死んだ人だっていっぱいいるんだぞ。命を戻すことが出来るのか。

原発事故の責任は取れ。それぞれの罪の大小軽重に応じて。双葉大熊の住民の大部分は、原発誘致に賛成した。同じ住民の中に反対の人もいた。彼らの声を聞かなかったという責任はある。仙台高裁の裁判官は、原発停止措置要求を却下した。その責任はあるだろう。
自民党には大きな責任がある。民主党だって事故以前は原発推進であった。大きい責任はある。多くの日本国民には無関心だったという責任がある。
善良な殆どの日本国民は、今も責任を感じているんだと思う。原発反対が過半数なんだから。反対は、怖いばかりじゃないと想像する。

今でも再稼働したいという政権や電力会社の厚顔無恥さよ。金目は君たちだろ。自分のカネ儲け以外に再稼働の理由なんてあるのか。原発なしでこの夏過ごしたよ。日本国民は。既に電気料金が高くなっても、それを受け入れ原発反対を貫いているんだぞ。日本国民は。国民投票で決めよ。