安楽死/邪宗門(4)

近頃米国の若い女性の安楽死が一つの話題になっている。安楽死は、尊厳死と違って自然な死ではない。尊厳死は、延命治療を断って自然に死ぬことであり、安楽死は、何らかの理由と何らかの手段による自殺死である。安楽死は、薬物等により文字通り楽に死のうとすることである。私は、自分がどう生きるか=どう死ぬかは、各人の自由と思う。家族のため十分な治療を受けての死もある。尊厳死もあるだろう、許されれば安楽死もあるだろう。自殺もあるだろう。安楽死の問題は、社会が厳密な条件をつけてそれを認めるかどうかである。結局は、医師の苦痛や犯罪(殺人ほう助罪)を回避するかどうかの問題じゃないか。
>以下、ネタばれですみません<
高橋和巳の<邪宗>「ひのもと救霊会」の他宗との違いの一つは、安楽死を認める宗教と言うことである。いや違うな、安楽死じゃないな。自殺そのものを肯定する。その意味では、もともと邪宗かもしれない。
戦前の第二次弾圧の時、教団本部の建物から出火した。ハンセン氏病が進み全身衰弱してほとんど歩けない老人は、嫌がりもせず自分を背負って救出してくれた青年部員に感謝の礼を言い、どうか下ろしてほしいという。そして焔の中にはうように身を没する。
>「なにをする、爺さん。」
「わしはこの病院が焼けては生きてはゆけんでのう」異形の頬をひきつらせて微笑すると
、最後の力で背筋を伸ばし、指のかけた掌を合わせて、自ら焔の中へ入って行った。
 救いとは何ぞや、安眠なり
 荘厳とは何ぞや、自己滅却なり
 希望とは何ぞや、虚無なり
開祖まさと教主の問答録の一節を高唱しながら、焔の前に立ちはだかり、みるみる黒こげになっていった。<(第一部第二八章の2)

自殺を肯定する「ひのもと救霊会」は、だから、ある部分危険な面を持つ。
 救霊会の支部ともいえる癩病患者の島は、救霊会への弾圧と活動禁止のため維持困難になる。救霊会本部も息絶え絶えで、救霊会から救霊会を否定して分離独立し、国家主義に転じた皇国救世軍から合体の申し出がある。合体とはいっても、救霊会の根本を自ずから捨てるものだ。その相談が癩の島にもたらされる。食うために心を売り渡すかどうか?食えずに主義主張を通すか?意見は厳しく対立する。その中で、もと本部員(刑期を終え出獄)で、もと医師(医師免許はく奪)の高倉佳夫は、合体に反対して次のように言う。
>「・・・私はもし、教団本部が、教団は自滅した、お前たちも自滅せよと言うなら、殺人の罪を一身に背負って、回復の見込みもなく、人間らしい生活を送れない重症患者全てに、青酸カリを与えてもいいと思っている。・・・」<(第二部第9章の2)
高倉佳夫は、教団の精神を守ることを第一義にして、殺人と分かっていながら薬物投入をも、思想的には肯定する。これは、もし同意を得ぬなら明らかに殺人である。教団の7戒の第一不殺生戒に違反する。同意を得た場合はどうか?
本人の同意を得て、絶対治る見込みがないということが証明されて、苦痛がひどい場合
、安楽に死ねる薬物を投与することを、殺人罪や殺人ほう助罪に問わないというのが安楽死である。青酸カリを投与するのは、安楽と言えない。だから高倉は、現代の安楽死を認める考えにも反する行為である。

自殺でも妙に納得できるのが、戦後の武力蜂起に敗れた千葉潔達の自ら望んだ餓死である。
千葉潔・堀江民江達数名の残党は、大阪のスラム街に現れる。彼らは、食事を与えられても、それを食べることを拒否する。
>(佐伯)医師には、神部から逃れてきた救霊会の残党がどうするつもりなのかははっきり分かった。瞑目したまま、この世の汚濁の一切から厭離し、何も語らず、何も食わず、餓死して果てようとしているに違いなかった。医師は知っていた。救霊会は他の宗教と異って、苦しみの果てに自殺することを許す宗教であり、沈黙は、この世に終着を残さぬため、絶食は罪なき動植物を食ってきた人間存在そのものの根元(ママ)悪に対するわずかな謝罪として、むしろ密かに称揚してきたことを。医師が救霊会の経営する愛善病院長をしていた時代にも、回復の見込みのない患者の多くが、このようにして死んだのを彼は見ていた。自ら意志した平静な餓死ーそれは自己の業を断ち切って二度と苦海に生まれ変わることのない死、まったくの虚無に帰さんとする人間存在の最後の祈願として認められていたのだ<(第三部第三十章の2)

 この自ら意志した平静な餓死は、尊厳死じゃないか。いや違うな、尊厳死は、死が不可避のものとなった場合、延命治療を拒否するということだからな。
人間は、罪なき動植物の命を奪い自らの命を維持するしかない存在である。救霊会の言うとおり、これは根本悪である。「命を提供してくれた他の生命体に感謝していただこう」
なんて言うが、これは誤魔化しのように思う。じゃー、餓死すればいいか。いやしんぼの俺には、安楽死の真逆の最高級の苦痛死だ。生きていたんだから、仕方ないか。誰かは言った。「死と太陽は見詰めることが出来ない」と。多分孔子は言った。「われ生を知らず、いずくんぞ死をしらんや」、しかし他の命をもらって生きているなんてすぐわかるじゃないか、孔子さんよ。誤魔化しじゃないのか。・・・どうも「邪宗門」から卒業出来そうもない。