ひのもと救霊会が達成した理想社会/邪宗門(6)

高橋和巳は、数日達成された理想社会を次のように描写する。
まずは、外部の二人の目から見て(以下ネタばれですみません)
植田文麿:>町の中心部の商店、散髪屋、外食券食堂の全てに店舗の共有化ないしは公私合弁の張り紙が貼られていた。人々は活気に満ちて、あちこちで立ち話をし、あるいは討論していた。人々の服装は昔道り質素で汚れていた。・・だがもう誰が誰に命令することもなく、誰が誰にペコペコすることもなかった。・・・人々は隣人愛に満ち溢れて見えた。全ての人は尚貧しかったが、どの一人としてもはや「もの言う道具」ではなく「二本足の機械でもなかった」<第三部第二八章の1)
吉田秀夫:>私は・・・わずかな期間ながらも、達成されたその自治の形態を見る僥倖を得た。私はそれをあえて僥倖と呼ぶ。そこには確かに武装反乱に伴う、最も悲しい人間の悲劇、血と野望、陰謀と暴力が介在したことも事実だったが、しかしまたそこには事物や生産関係や権力が事を決するのでなく、人間が事を決する本来の「自治」なるものの姿があることも事実だった。・・・彼らが(救霊会)政府にそして占領軍に圧しつぶされたのは、自由、平等、文化、平和、ほかならぬ彼ら為政者の口にすることどもをほんとうに実行しようとしたからである。<(第三部第三一章の3=最終章)
それはどのような社会であったか?目標も含めてまとめる。
元々信徒部落は土地共有、共同労働、分配は労働量と必要の法則により制定(これが戦前治安維持法の「私有財産否定」に当たるとして処罰の原因)(第一部第6章の1)
解放区内の大地主、官僚、資本家等の土地財産没収。高利貸しの財産没収。男子成人に七反、その家族に五反の土地を給与。農作物は、農民組合が管理、労働組合、都市居住住民自治体を通じて配給。
神部(解放区)の国有林は救霊会が接収。従業員五〇人以上の企業は全て自治体所有化。その企業の株式配当に相当する額を自治体収入とし、それに伴う税の廃止。娼家の破壊、娼婦の解放。未開放部落民を官公庁に収容。孤児、孤独老人、寡婦等は中小企業体からの事業税で自治体が養う。治安は、救霊会特設青年隊が担当。

まとめれば、これらは農村共同体を基礎にした労農連携の共産主義的社会と言えると思う。この小説の書かれた一九六〇年代半ばは、高度成長期半ばで、農村共同体が壊れつつあったころである。しかし、この小説の描いた敗戦直後は、農村共同体が機能していた。敗戦直後は労働組合も極めて盛んで、労働組合と農村共同体の連携があれば、あるいは達成し得たかもしれない。あるいは、小説内でも触れられているが、英ソ中のどの一国かが救霊会に対して中立で米国を抑えようとすれば、革命は成ったかもしれない。あるいは、突発的事故が起きなければ、準備整い、革命は成ったかもしれない。その革命の結果は、どのような社会か。ソ連が長い苦闘の末資本主義に戻ったように、あるいは中国が共産党独裁のまま、資本主義を導入したようになったかもしれない。日本国民の資質によりソ連や中国と違う理想的な共産主義国家が出来たかもしれない。それ以前に土地を得た農民の保守化のため、革命は中途で挫折したかもしれない。全てはありえなかった歴史である。
現実の日本の歴史は、米ソ冷戦下米国の指導のもと独占資本主義国家として復活し、大発展し現在に至っている。日本の良いことも悪いこともその現実の中にある。別の良さは、東日本大震災の時に見られた日本人の良さ、侵略戦争の罪の反映である平和国家ブランドである。

二一世紀の現在は、農村共同体は、殆ど機能を失っている。しかも人口の多くは都市に住み、第二・第三次産業に従事している。
我々は、ひのもと救霊会の理想を実現する基礎を現在全く欠いてる。我々はどこから何から真の自治・自由・平等・文化・平和を作り出すべきか?これまた「邪宗門」から卒業するのが難しい。