後藤さん殺害について考えること

今朝起きてびっくりした。「イスラム国」に囚われていた後藤さんが殺害された。

わからぬこと、判断がつかないことがいっぱいあり、わからぬことについては、言わない方がいいとも思うが、また何の影響力もない自分でもあるが、無知も自覚してはいるが、しかし、同時代を生きるものとしての責任として、思いつくことを言っておく。

(1)この事件の責任について
(あ)湯川氏、後藤氏の自己責任について
湯川氏、後藤氏が危険地帯に行った判断は、自分の判断である。命の危険を顧みず行動した。後藤氏は、「自分の運命は自分の責任」と明言してシリアに入り、そして、命を断たれた。自分の責任を自分でとったと言える。
湯川氏については、その目的を私は知らない。後藤氏は、シリアの特に「イスラム国」の支配下の人々の生活(特に子供たち)を世界に伝えること・湯川氏救出のためと報道されている。そうであるなら、立派である。尊敬する。もし身代金を払って救出されても、私は立派と思うし、そうなった場合起こったかもしれぬバッシングには反対する。
危険を冒しても他国の困った人の状態を世界に知らせることは、とても意義あることだ。こんな日本人がいることを、私は、心から誇りに思う。お二人の御冥福を祈る。

今回は、かのイラク人質事件の高遠さんたちへのバッシングような自己責任論が殆ど聞かれなかった。私はあのバッシングもひどい間違いであったと思っている。この違いを考えていかねばならぬと思っている。

(い)日本政府の責任について
(a)日本国政府は、日本国民の命を国内外で守る責任を負う。今ここに、二人の命を守れなかった事実がある。日本国政府には何らかの責任がある。国会等に事実検証の組織を作って、公平に調べて国民に発表すべき責任がある。
(b)過去にも、日本人人質が殺害された事件がある。それらの検証はどうだったのだろうか。その反省は生かされたのだろうか。その辺も、調べてもらいたい。
(C)今回の殺害に至る事件の発端は、安倍首相の中東訪問での発言である。その責任は、十分に検証すべきである。2名が拘束されている中で、「イスラム国」に敵対する側への支援を表明した責任は、免れない。人道支援はいい。その表明のしかた、時と場所について検証すべきである。黙って支援をしたっていいのである。安倍首相にあんな発言をさせた外務省の責任も検証すべきである。

(2)「イスラム国」について
この組織が、何故日本人人質をとり、お金要求→湯川氏殺害→死刑囚交換要求→後藤氏殺害・日本人への警告と言う行動をしたかは、私は、理解不能である。わかったことは、「イスラム国」は、他国人の命を手段としても自分たちの目的を達成しようとする犯罪者集団であるということである。「イスラム国」が主権国家を作ろうと言うのであれば、彼らの失敗である。現代では、犯罪で作る国家を認める国家はないだろうから。早晩消滅するであろう。

しかし、少数ながら彼らに共鳴する者たちがいるのも事実である。故に「イスラム国」の指導者たち・共鳴者たちの考えを理解しなければならぬ。それを知り、それへの有効な対策を打たなければ事態は改善しないとおもうから。ちょうどオウムがなぜあんな事件を起こしたか、酒鬼薔薇がどうしてあのような行動を起こしたか、を知らねばならぬように。そうしなければ有効な対抗策を打てないし、憎悪の連鎖になってはこまる。
勿論、「イスラム国」を含め、イスラム過激派が発生した歴史的経過も大いに考えねばならぬ。そこから、教訓を引き出し対策を考えねばならぬ。イスラム教徒一般のものの考え方も理解しなければならぬ。

(3)今後の日本の進み方について
(あ)上にダブるが、日本国民は、「イスラム国」・「イスラム過激派」・「イスラム教」・中東情勢について歴史を含めて良く理解することが大事と思う。特に政府・官僚はそのことが仕事だろう。しっかりやれよ。二人死なしてるんだぞ。凶暴な集団だとわかってたんだろ。
(い)英・米・独・仏・露との違いを自覚せよ。「国際協調」を安易に言うな。
イスラム国」及びイスラム過激派の行動及び中東の民衆の苦労の背景に、上の国々(列強)の歴史的責任がある。英は、第一次大戦での対独作戦で二枚舌外交を展開して愚ろうし、地元民の意思に無関係に勝手な国境線を引いた。これに同調したのが仏露であった。独もまた中東へ勢力を伸ばそうとした。米国は、イラクフセイン政府を壊し中東の混乱の一つのもとを作った。何より、米国のイスラエルへのダブルスタンダードが混乱の大元である。
日本国は、これらに関係がない。
日本国政府は、「対テロ国際協調」を言うが、日本国は、テロを発生させる一原因を作った国々と違う立場をとりうる。とるべきだ。だから安易に国際協調を言うべきでない。その方が中東の生活に困った人々を助けられる。国際協調とは、中東等での避難民への、貧困民への支援と考えるべきである。
中東諸国民・諸民族・諸部族・避難民への生活援助を国際協調と言う姿勢を明確にせよ。そうでないと、おかしなやつらに「十字軍」に参加した等と上げ足をとられる。
(う)日本は「専守防衛」に徹し、「非武装中立」を理想とすることを世界に宣伝せよ。
今後日本国の政治方針がどう変わるか、不明である。
いろいろな方法を考えてみよう。自衛隊英米仏豪軍と同様に使うことする。「イスラム国」空爆に参加したとする。当然テロの脅威をまともに受ける。うまく、武力によりイスラム国を壊滅しても、他のテロ集団が発生する。イスラム国を生んだ背景が変わってないので、別な「イスラム国」が生まれる。ますますテロの脅威をまともに受ける。一方それは中東地域の人々の生活の向上には役立たない。空爆の下、一般庶民を誤爆する。これもまた憎悪の対象になる。
「周辺事態法」改正で、恒常的に世界中で米英軍の後方支援をしたとする。米英軍等は、空爆・地上軍攻撃をする。日本は米英軍の仲間とみなされる。それは、一部の人に憎悪の種をまく。一方その紛争地域の人々の生活の向上にならない。これらの法的基盤は集団的自衛権である。だから、集団的自衛権の行使容認は止めよう。
1992年PKO協力法成立までは、日本は専守防衛でやって来た。自衛隊は国外へは行かなかった。その方がいい。pkoも、自衛隊と別組織で参加すべきであった。日本は、金しか出さないと言う悪評?が一部からあった。それでいい。せっかくの悪評を利用した方がいい。日本は、「戦前の侵略で軍事力での解決は悲惨と知った。原爆で軍事力の悲惨を知った。だから日本は軍事力での解決を国の方針としない」と言えばいい。アメリカには、お宅の押し付けた憲法上、軍事力は行使できないと言えばいい。お宅におとされた原爆で
軍事力行使は、まずいと知ったと言えばいい。
そうして世界に「日本は、自国領域への侵略以外に自衛隊は使わない」かつ「非武装中立(=日米安保を非軍事同盟に改定または廃棄)」「国連による集団安全保障方式」「紛争は国際調停機関で解決」を目指すと言う宣言をすればよい。そうすれば、いかなる勢力も支援を敵対行動とは言いにくいだろう。個別的自衛権のみ行使可能と考えていた自民党の国会議員たちよ、安倍さんに反対を表明せよ。
今回のお二人の失われた命を、自衛隊の海外での行動拡大に使うのは、間違いである。
敵を作らぬことだ。敵にならぬことだ。困っている人々の生活の向上に軍事力は役立たない。軍事力でテロを完全に防ぐことはできない。