棄てる

散歩の途中、70代後半と見えるおばあさんにあった。「おはようございます」とさわやかに挨拶し合った。ふと見ると、手つき鍋に食べ物の残りを入れて歩いていた。はて、外につないだ犬にでもやるのかなと思ってすれ違った。暫く行くと、ボチャーンという音がした。振り向くと、彼女は、橋の上から残飯を川に投げ入れたのだった。

昔の人だから、川が汚れると言う感覚はないんだろう。魚の餌と言う感覚なのかもしれない。日本人は、罪や穢れを「水に流す」と言う。禊は、水に罪や穢れを流すことだ。そんな感覚なのかもしれない。

昨年末、原子力規制委員会が、福島第一原発の汚染水を海水に放出するのが良いと発表した。勿論ALPS等で放射性物質を取り除いてからだ。どんどん冷却に使った水が増えて保管にこまってきたからだ。今年IAEAも同じ考えを表明した。

困ったと言うことはわかる。あるいは、百歩譲れば、やむを得ぬのかとも思う。しかし核物質の全てが取り除かれるわけでは決してない。福島県浜通りの人間としては、ひどく気分が悪い。俺は、今年か来年あたりには、海釣りを再開しようと思っている。希釈して薄まるとはわかっている。しかし、平気で海を汚すのは、気分が悪い。

平気な顔で、困ったから流すと言うのが気に食わない。原発事故の責任をとれ。そうしてから、やむを得ず、地域の人に謝りながら、海に謝りながら、厳しい条件のもと流すべきだ。原発事故の責任を取らぬ限り、いつまでも無限に保管していくべきだ。責任は、水には流せないぞ。流されてたまるか。

検察は、原発事故について東電経営者の責任を問えないと言う。検察審査会は、裁判で責任を問えと言う。やがて弁護士が検察官として裁判することになる可能性が高い。検察が責任を問えないと言う以上、弁護士がいくら有能でも、無罪となろう。

しかし、忘れちゃ困る。東電の筆頭株主は、日本政府である。日本政府は、株主として東電経営陣の責任を問うことが出来る。
もっとも、安全神話のもと、原発を推進してきた自民党が政府を作っていてはだめだ。

今日小泉元首相は、「政府の決断で原発廃止を」と言ったようだ。(テレビのニュースで見た)
賛成である。
汚染水が増えて増えて困って、海に流せなんて言っているんだから、もうこれ以上核汚染物質を増やしちゃいけない。
原発廃止。