「イムジン河」を聞いて

昨日に続き、フォークル新結成即解散コンサート(2002年)を見た感想を述べます。

彼らはこのコンサートで合計3回「イムジン河」を歌っています。彼らの思い入れがしのばれます。
一回目は、全て昔歌った日本語の歌詞(松山猛訳)。
二回目は、ハングル語の歌詞で1番のみ。これは、松山猛の2番をハングル語訳したもの。
北山修のぼそぼそした説明によりますと、三回目は、1番が二回目に歌ったもの(ハングル語)、2番が元々の松山猛の2番、3番があたらしく作った歌詞という構成です。

ごめんなさい、説明が悪いですねえ。

ウィキによりますと元々の歌は、北朝鮮の優位を歌った歌なのだそうです。それを、松山が南北の分断を歌った歌に翻案したのだそうです。それをフォークルが歌ったのだそうです。

あたらしく作った3番は、分断を象徴するイムジン河は、春の雪解けの水を得て、海にかえって一緒になると言う歌詞です。金大中大統領時代の南北和解の雰囲気を受けた歌詞だと思います。

北山修は、このコンサートでこの歌を歌う前に言います。「イムジン河は、南北朝鮮の間にもある。日本と半島の中にもある。世界中どこにもある。私たちの中にもある。そうであるなら、ささやかな希望を歌うのも意義あることじゃないかと言うことで3番をつくった」といいます。

一夜限りのこのコンサートは2002年にありました。それは2001年同時多発テロを受けて、米国が逆上し、対テロ戦争を呼号し、アフガン・イラク戦争へ突入する時でした。分断と「憎悪の連鎖の泥沼」の始まりでした。

日本も、ショーザフラッグ、ブーツオンザグランドと言う米国の圧力のもと、イラク特措法自衛隊を戦乱の続く地帯へ派遣しました。そろりそろりと分断の一方の側に立ち、憎悪の連鎖の泥沼へ足を踏み入れたのです。

そしてとうとう日本は今、「イスラム国」から憎悪の対象となりました。

今安倍政権は、何を思ったか、日本国憲法の縛りをあの手この手で乗り越えて、憎悪の連鎖の泥沼に自ら踏み込もうとしています。脱兎のごとく。自衛隊の活動を恒久化・全世界化は、いつでもどこでも分断の一方に立ち、憎悪の連鎖の泥沼に入ろうと言うことです。

分断の一方に立つことは、結局憎悪の連鎖の泥沼からはいあがれません。

日本国憲法は言います。戦争の悲惨を繰り返さぬため、「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権否認」と言いました。それは世界に向けてのメッセージでした。武器じゃ世界の人々の平和的生存権は確保できないよと。我々日本人は、世界の平和の先頭に立とうと言いました。戦争に関する一切を放棄することは、「世界に先駆けて正しいことをしたのです」(新しい憲法の話、昭和22年文部省著作教科書)と言いました。

今の日本は、この憲法から遠く離れてしまいました。