キューバ危機のころ〜自衛官の命について 、その他言いたいこと

昨年末以来、米国とキューバが関係改善の交渉を始めた。それで思い出すことがある。キューバ危機である。

キューバ危機は、私が世界の動きに目覚めた最初である。それは、私が12歳、中学一年の時である。
1962年10月、テレビでは、こんなことを毎日言っていた。「ソ連海軍が、米国海軍が封鎖するキューバ海域にこのくらい近づいた。このままだとあと何日で、米ソ戦争が始まる。核ミサイルが飛び交う戦争になる。日本も米軍基地があるのでソ連のミサイルでやられる。人類滅亡だ」と。私もぼんやり、俺も死ぬのかなあ、なんて思ってた。

これが、きっかけで、私は日本の安全保障に興味を持った。ただ、そればかりではない。
前にブログに書いたが(「自衛隊に先に死んでもらおう」と言うブログ)、自分が生きるために、自衛隊員に死んでもらっていいのか?と言う疑問を持ってしまった。「持ってしまった」としか言いようがない。「とりつかれた」のかもしれない。私は、50年以上たった
今も、これに納得できる解答を持っていない。

自分の命を守るため、自衛隊員の命を使って良いか、要求していいかと言う問題である。
ある人は言うだろう。それは、仕事だからしょうがないんじゃないかと。警察官や消防官も命がけで国民の命・安全を守るのだから同じであると、自衛隊員も納得してその仕事についていると。

私は、この考えに違和感をもつ。

少なくとも自衛隊員の場合は、警察官や消防士と違うところがある。警察官や消防士の場合、国民は、彼らの命がけの場面をできるだけ減らそうと努力していると言うことである。殆どの国民は、自分が「犯罪を犯さないように」とか犯罪が起きにくいように、「火事が起きにくいように」とか努力している。その上で、やむをえない場合、警察官や消防士に命がけで命を助けてもらっている。

自衛官の場合、警察官や消防士と違う。
第一。自衛隊の活動を拡大しようとする人たちは(安倍政権・現自民党など)、本来戦争が起きないように努力すべきなのに、逆に緊張を増大させていることである。「安保状況の悪化」や中国の脅威の強調等である。ためにする議論と言う印象を持つ。自衛隊員に守ってもらおうと言うなら、安保状況の平穏化や中国の脅威の低下を必死で考えねばならない筈じゃないか。
犯罪が増えても仕方ないようにしながら、警察官の活躍する場面を増やそうとしている。火事の可能性が増えるようにしながら、消防士の活躍する場面を増やそうとしている。


第二。警察官や消防士は、政策により活動する内容が大きく違うことはない。しかし自衛隊は、安全保障関係の国家目的に使われる装置であり、その使い方は政策により変化するものである。
実際上も大きく変化してきた。
自衛隊は、もともと自国防衛のためのものである。自国民の命を守るためのものとして創設された。それは自国領土が攻撃された場合だけ戦う存在であった。海外派兵はなかった。それが1992年以来PKOに使われることになった。2004年には、復興のためと言うことでイラクで使われることになった。1999年には、周辺事態法で、戦う米軍の公海上での後方支援で使われることとなった。それぞれにきわめて大きな反対があった。それに対応して、自民党政権は、そろりそろりと自衛隊の活動を拡大してきた。

安倍政権は、脱兎のごとく、しゃにむにである。いかなる手段を使っても自衛隊を海外で使うぞ、と言う感じである。今度は、集団的自衛権のためにも使えるようにすると言う。「限定的に」とは言うが、間違いなく自衛隊の活動の拡大である。自衛隊の活動が大きく変えられる。「自国防衛から同盟国の戦争援助」へだ。集団的自衛権とは、自国が攻撃されていなくとも、同盟国のために戦う(「後方支援」とは戦うことと同じと、私は考える)と言うことであるから。そこまでいけば、同盟国の戦争のため、自衛隊員の命を要求して良いのか?と言うことになる。この場合、同盟国の戦争が正しいのかとどうか言うことも問題になる。勿論「日本の安全に脅威のある場合」等とか、その他の文言上の歯止めがつくだろう。しかしそんなの時の政府の解釈次第だ。アメリカ言いなりの自民党政府がずるずると同盟国の戦争に参加す可能性は高い。参加しやすくしようと言うのが、今回の恒久新法制定や、周辺事態法改正、その他の法改正だ。百歩譲って、参加しやすくしようと思わなくとも、(日本の安全に寄与するだけと思っても)、アメリカの要求を断りにくくなるのが今回の新法制定、法改正である。なければアメリカも要求しにくいだろう。

さて、話を戻して、アメリカの戦争は、正義だったか?ベトナム戦争は、正義があったか?アフガン戦争・イラク戦争はどうか、簡単に正義の戦争とは言えないだろう。しかし、少なくとも米国の利益のための戦争と言える。米国の戦争には、常に民間人の犠牲があった。ソンミ村事件などまるっきり犯罪である。つまり日本の集団的自衛権行使(あるいは、個別的自衛権発動と言う解釈での後方支援活動)は、米国の利益のため、あるいは米国の戦争犯罪のために、自衛隊員の命を要求することになる可能性を持つ。

米国の利益のためや犯罪行為を伴う米国の戦争に、わが自衛隊員の命を使っちゃならない。百歩譲って、良くわからぬことに自衛隊員の命を使っちゃいけない。自国領土が侵された時なら、自衛隊員の活動には、自国民の命を守ると言う名目がある。それだって、政府が外交努力をした末でのことだ。

くどいが、繰り返し言う。

自衛隊を使って自分の命を守ろうとか、自衛隊を自国の利益実現(利益かどうか不明であると思っているが、百歩譲って)に使おうと言う人は、全力で、自衛隊を使わなくて済むよう行動すべきと思う。つまりは、他国と憎悪を増幅させないようにとか、平和的手段でトラブル回避を考えるとか、それを全力でしなければ、不道徳な人間と思う。自分の利益のため、自衛隊員という他人の命を使おうとするのだから。

それが現状ではまったく違う。中国の脅威を唱え、韓国の反日を強調する。そういう人が、自衛隊員ならまだわかる。勿論自衛隊員が一国民として言うならわかると言う意味だ。しかし実際は違う。自分が直接危ない場面に立つ可能性が少ない人が、自衛隊員の危険性を高める言動・行動(法制定や法改正)をすることを、私はひどく嫌悪する。

今日の朝日新聞では、公明党が安保法制大筋容認と出ていた。巨大与党が占める国会でこの安保法制が通る可能性は高い。
しかし法律は成立しても廃止できる。ましてや憲法違反の法律である。(と私は思う)

民主党のかなりの部分、共産・社民は、旗を立てよ。次の選挙で、「安保法制を安倍以前に戻す」と、「今国会で成立した安保法制の廃止法案」を通すと。そうすれば、かなりの国民はこれを支持するだろう。もし、与野党接近すれば、自民の隠れ反安倍派も姿を現すであろう。元々あまりやりたくなかった公明等は離反する可能性が高い。もしなんなら民主党・共産・社民は、「アベノミクスで行きますが、安保法制は元に戻す」と言う旗でもいいぞ。

旗を立てよ。安保法制を安倍以前に戻すと。

自衛隊海外活動拡大法(と総称しておく)が発動された場合、憲法違反となる可能性は高い。しかし発動された時は、既に遅い。犠牲が出る。日本の平和ブランドは、棄損する。テロ対象となる。国際平和追求の別の道=軍事力以外の道を探る大国=日本が消える。米英仏ロ中独のようになっちまう。