四匹の蛙の話

久しぶりに加藤周一夕陽妄語」を読んだ。

近頃の自分の気持ちを引き立ててくれる話を紹介する。1992年8月18日朝日新聞掲載のコラムのなかの挿話である。

「三匹の蛙が牛乳の容器の中に落ちた。悲観主義者の蛙は、何をしてもどうせ駄目だからと考えて、何もせず溺れて死んだ。楽観主義者の蛙は、何もしなくとも何とかなるだろうと考えて、何にもせずに溺れて死んだ。現実主義者の蛙は、蛙にできることはもがくことだけだと考え、もがいているうちに、足元にバターが出来たので、バターをよじ登り、ひと飛びして容器の外に逃れた」(カルル・フリードリヒ・フォン・ヴァイスゼッカー)
これのもとは、イソップ童話の話らしい。


安倍政権の爆走が顕著である。政権の圧倒的優位をもたらす(=人権抑圧)の特定秘密保護法、同じ文言から別な解釈を引きだす手品的憲法解釈(そこから自衛隊海外活動拡大法)。武器輸出三原則放棄。原発再稼働へ猪突猛進。米国従属から一歩も出ず、不平等不公正を沖縄に押し付ける辺野古新基地建設。あまつさえ、放言の数々。「日教組」と言うヤジや自衛隊を「わが軍」と言う発言、従軍慰安婦を人身売買と言う責任逃れ。

あきれ返ってしまい、そうしてその暴走を止めることのできない空しさから、とかくどうでもいいや、俺は知らぬと言いたがる気持ちが、近頃自分にはきざす。・・・しかし。

どうせダメと諦める悲観主義や、いままでどおり民主主義・基本的人権・平和主義は守られるだろうと考える楽観主義は、溺死する。もがけば、脱出口が開かれるかもしれない。

蛙には4匹目がいるかもしれない。悲観主義でも楽観主義でも現実主義でもない蛙。その名を無関心蛙。この蛙も勿論溺れて死ぬ。

もがきましょう。微力であっても、それぞれ出来ることを誠実に実行することで。

尚、カルル・・・・・ヴァイスゼッカーは、「過去を直視しないものは、現在にも盲目である。」という演説で有名なドイツ大統領ヴァイスゼッカーの兄で、ドイツ原爆製造に携わった物理学者である。