日本人は多く死ぬな

今日の朝日新聞への15歳の高校生(米国在住)の投稿を見て「日本人は多く死ぬな」と言う言葉を思い出した。この言葉は、ヨーロッパ旅行初日のホテルでの同じツアーの人から聞いた言葉である。


(泊まったホテル)
ドゴール空港近くのホテルでの朝2時ころ、とんでもないでかい音でアラームが鳴った。
初め私たち夫婦は、自分の部屋の何かの設備の不都合と思いいろいろいじっていたが、どうも違うらしい。と言うことで廊下を見た。各部屋から廊下を覗く人、エレベーターへ急ぐ人、犬まで抱いて家族そろって逃げ出す人様々である。白人も黒人もいる。様々な言語が飛び交う。ガイドに聞いてみようと言うことで、ガイドの部屋にTELしたが話し中。隣の同じツアーの人と廊下越しに「なんでしょうね」なんて話をしているとアラームが止まった。

次の朝、同じツアーの別な人の話。「日本人は多く死ぬな。自分は、アラームが鳴ったらすぐに階段で0階フロントまで降りた。大勢の外国人が集まっていたが、日本人は自分たちだけ。あれが火事だったら日本人は大勢死ぬ」・・・なるほど逃げるのが正解なのだ。この間抜けさよ。安全ボケ・平和ボケと言われても仕方ない。

あとでわかったが、この人は、11回も海外旅行した人だ。なるほど日本人は危機に対する感覚が弱いのである。それだけ日本国内と言う安全な環境にずっと長く生活してきたのである。この幸運。

今朝の投稿の高校生は、安保法案に賛成という趣旨で、その論拠の一つが、イスラム国のような国際テロ組織に立ち向かっている欧米諸国のように行動すべきというものである。その方法が軍事力による抑止力強化=日米同盟深化=安倍安保法制という考えである。

国際テロ組織に軍事抑止力が有効でないというのは、米国の強大な軍事力で対抗してもテロが絶えない現状を見れば明らかである。だからこの高校生の言っていることは間違っていると思う。別な方法を(軍事力以外の方法)を日本は考えるべきなのだ。

もし安倍安保法制が成立し、米国の側に立ちテロに軍事力で対抗するとすると、日本国内もテロの標的となる可能性が増大する。安全にならされた日本国民は多くの犠牲を生む。

安保法制推進の人たちも安全ボケ・平和ボケなんじゃないかな。後方支援だから攻撃されないとか、米国の側にたってもテロの対象にならないとか、これも安全ボケ・平和ボケだと思う。

それにしても日本人の危機感覚の弱いのはいいことなのやら、悪いことなのやら。