母親について思う

自分の母親のことではない。

娘が母親になった。私は、産院で午後5時から午前2時まで初孫の誕生を待っていた。

廊下を歩くのは、おなかが大きい産前・産後の母親たちである。重そうにしんどそうに歩く。

何カ月もおなかの中で子供を育て、苦しんで産み、産まれからても目が離せない。いやー大変だ。

先日私は、歯医者に行った。隣は小さい子供だった。もう、盛大に泣く。ギャーギャーと力の限り泣く。暴れる。それをなだめたり抑えたりしているのは、お母さんである。お母さんは大変だ。そんなことが、ずっと続く。子どもの独立まで続く。
子どもを産みたいなんて、度胸のあることである。俺が女だったら絶対産まない。まあ、女だったら感覚も考えも違うんだろうけど。・・・産むと言うのは、本能なのかな。本能なんだろうな。

産院で思った。皆旦那がいたけれど、シングルマザーだったらどうだろう。心細く、そして一人で育てるのは、それこそ大変だろう。
フランスの出生率が高いのは、シングルマザーの子育て環境の整備が進んでいるからと聞いた。出生率を高めたいなら、日本も、そのような環境を整えた方が良いと思う。

また産院で思った。こりゃー男は、つらくとも働かなくちゃいけないわいと。何せ、女は
母胎で子を育て、産みの苦しみを乗り越えるのだから、代わりに男は働かなくちゃー。

聖書では、神の言いつけにそむいた罰として、男は労働、女は産みの苦しみ、ヘビは人間に殺されると言う罰を与えられたと言うそうである。

女の産みの苦しみが罰と言うのは、かわいそうな気がする。

私の好きな高橋和己「邪宗門」の終わりごろに、女が、衆人環視の中で出産するシーンがある。権力(日本政府、米国占領軍)と戦かい敗れた「ひのもと救霊会」の残党がやってくる。興味本位に見ている男どもを厳しく罰し、そして苦しんでいる産婦にいう。「そう、女が子を産むのは当然の仕事。神様が女を意味もなく苦しめるはずはありません」

また「邪宗門」を読みたくなった。
60年代末全共闘を支持した高橋和己が今生きていたなら何と言うだろうか。