若者をフレデイーにするなーフレデイ若しくは三教界、そして南京大虐殺

昔好きだったグレープの歌に「フレデイー若しくは三教界」という歌があります。
戦前の中国の漢口で出会った若い男女の愛と哀しい別れを歌った歌です。男性は、フレデイーと言いますから、欧米の若者でしょうか。女性は、私と言っているだけなので、国籍はわかりません。中国人なのか日本人なのか欧米人なのか、いずれとも想像できます。

フレデイーは、戦闘機の機銃掃射でなくなりました。漢口を攻撃したのは、日本軍と言う可能性が高いです。なぜなら、1937年12月、首都南京を陥落させられた中国国民党政府は、首都を漢口へ移しました。そこを攻撃したのが日本軍です。そして漢口を陥落させ、国民党政府は、重慶へと首都を移します。ですから漢口の恋人を引き裂いたのが日本の戦闘機という可能性は高いと思います。勿論想像です。戦争後半ですと、占領している日本を攻撃する日本以外の戦闘機ということも想像できます。

この歌は、将来を約束した恋人を失った女性の悲しみを歌った歌です。勿論これは、さだまさしの創作ですから、色々に想像できます。しかし、日本の戦争により若い恋人同士が、永遠に引き裂かれたと言う事実は、当然想像できます。

今日、ユネスコが「南京大虐殺」を世界記憶遺産に登録したと言うニュースがありました。それに対して外務省と自民党政府が、登録するのは、ユネスコの中立性に反するという抗議をしたと言うニュースも流れました。日本側は、南京大虐殺で30万人が殺されたと言うのは、真実と認定できないと言う主張です。確かに30万人は多すぎると言う研究者は多いです。しかし南京大虐殺はなかったと言う主張は、日本のごくごく一部の人の主張です。安倍自民党も、民間人の虐殺があったと認めています。ですから、人数が確定しなくとも、南京大虐殺はあったと認め、世界記憶遺産に登録を認めるべきなです。抗議するなら、「30万という人数は、確定していないので、人数は書かないで、日中の研究者の合同研究に任せよう」という抗議をすべきなのです。登録を政治的に扱うなという日本側の主張が、登録するなという意味なら、逆に政治的に利用されます。日本って、事実を認めない危ない国だ。ダメな国だと。大虐殺という言葉がいやだなとも感じますが、殺されたのが1000人だったらどうでしょう。やはり、民間人大虐殺という言葉で表わせるのではないかと感じます。それが少ない数でも数万ですから、兵士同士の戦いでの死者ではないのです。無抵抗の民間人を殺害したのです。犯罪です。

私も日本民族の犯罪を明瞭に示すことには、気分が悪くなります。しかし、ある場面では、人間は虐殺という犯罪行為をしてしまうという事実は、忘れちゃいけない記憶です。それは、全ての人類の冒す可能性のある犯罪です。実際多くの民族がこれまで冒しているんだと思います。そのような場面を作らないようにするのが、人類の知恵だと思うのです。その出来事を苦い記憶として、日本人も記憶しなければならないと思います。
 
「フレデイー若しくは三教界」は、恋人を戦争で失った女性の悲しみが歌われています。
創作ですが、こんなことはいっぱいあったと想像できます。
世界の若者の誰をも、フレデイーにしないよう、その恋人にしないよう、戦争を起こさない工夫をしなければいけません。