ドイツ国民がヒトラーを支持したのも無理はない

NHKスペシャル新・映像の世紀「時代は独裁者をもとめた」を見た。

その最大の感想が表題に書いたことである。

第一次世界大戦敗戦の結果としてのベルサイユ条約のひどい屈辱、世界恐慌下の生活の
困窮、このドイツ民族の重大問題を解決したのが、ヒトラーナチスだからである。

その経済的手段は、アウトバーン建設に見られる公共投資による失業者の雇用創出である。また軍備拡張による軍需である。庶民の豊かさを象徴的するのが国民車、フォルクスワーゲンである。ナチスが政権について、5年で国民総生産が2倍、税収は3倍になった。

最大の失業問題を解決し、ドイツ民族の誇りを取り戻したヒトラーナチスを国民が支持するのは、無理もないと思う。

歴史には「もしも」はないというけれど、その誘惑にかられる。もし、ヒトラーユダヤ人虐待をせず、侵略戦争をしなかったら、素晴らしい人と言えるのじゃないか?公共事業による不況からの脱出は、政府による有効需要創出という資本主義の運営の仕方の一つである。このケインズ流のやり方が、戦後の世界経済の発展の基本ときいた。であるなら、経済政策でいえば、ヒトラーは、先見の明のある立派な指導者じゃないか。

ヒトラードイツ国民の間違いは、自国の困難の原因をユダヤ人という他民族に転嫁したこと、他国侵略を肯定したことである。
その底には、ドイツ民族が自民族の優秀さを信じるということがあるのだろう。

大日本帝国も戦前、日本民族の優秀さを基礎に朝鮮の植民地化、中国の半植民地化を進めた。米国の原爆投下やベトナム戦争イラク戦争には、自国の正しさ、優秀さという思い上がりがあったのじゃないか?

それらはいずれも間違いであった。

とすれば、自国や自国民の優秀さを無批判に肯定することが危ないことなのである。嫌韓は、比較して落ち始めた日本の原因を他に転嫁しているという間違いじゃないか。日本の伝統の素晴らしさを強調する自民党の考えは(教育基本法改正や憲法草案に見られる)、大きな間違いを犯すことになる危険性がある。日本の伝統ーまったく不明確な概念だ、そんなものを法というものに入れるなんて馬鹿げている。縄文の伝統か、戦国時代のか、江戸時代か、明治からの伝統か?戦後の伝統か?随分違うぞ。

経済を好転させた政権に支持が集まるのは、無理もないと思うけれど、それだけで判断するのはまずい。安倍政権の支持率の高さには、経済の好転(決してそう思わないけど、一部金持ち企業・個人の富の蓄積のみ、一般人の貧困が進んでいるのが現実と思う)も
あると思う。経済のみで判断するのはまずいと思う。

今後世界資本主義の危機が来る可能性がある。その時、他国や他民族に責任転嫁すること、自国や自国民の優秀さを無批判に信じること、経済を好転させた指導者に盲目的に従うことは、危険である。

そんなことを思った。

尚フォードやリンドバーグやシャネルがヒトラーを支持したことや、米国資本(GM、スタンダード石油等等)が、ナチスドイツに多く投資していたことは、知らなかった。また原節子の初演が日独国策映画であること、チャップリンの映画「独裁者」が作りなおされたことも知らなかった。