東京桜見物・遺霊の旅

国会前「安保法制施行反対」集会参加のついでに、東京の桜見物としゃれこんだ。

3月29日。まずは、普段は非公開と言う皇居乾通りへ行った。まだ、1・2分咲きと言う桜が多かった。桜の木もそう多くなさそうである。

次に皇居東御苑。言わずと知れた、江戸城旧本丸である。ここもまだ多くの木が2・3分咲きと言う感じかな。ただ、アマギヨシノと言うんだろうか、白っぽくてソメイヨシノより大きい花びらの木が、ほぼ満開であった。多くの観光客が、この木の下で写真を撮っていた。アジア系外国人が多い気がした。

皇居東御苑


多分 アマギヨシノ?


北桔橋から代官山道を通って、千鳥ヶ淵へ出た。ここもまだ早い。多くの木が1〜3分咲きである。満開時には、この遊歩道は桜のトンネルとなり、しかも皇居側の桜も見えて、さぞ美しい景色となろう。ボートも出てれば尚美しいだろう。その日は風が強いということで、一艘も出ていなかった。

千鳥ヶ淵

千鳥ヶ淵墓苑にも回った。昨年6月には、人がほとんどいなかったが、今日は、パラパラ程度にはいる。千鳥ヶ淵墓苑、この名前のわからない外地での戦没者たち。兵士だけでなく一般人の遺骨もあると言う。引き取り手がいない人々。引き上げ途中でなくなった人々
とシベリア抑留でなくなった人々の慰霊碑もある。無宗教と言うので、「般若心経」と「舎利礼文」を唱え献花した。

昭和天皇今上天皇の御製の歌が向かい合うように立っている。

今上天皇の「いくさなきよをあゆみきておもひいづかのかたきひをいきしひとびと」という御歌にひかれる。私は現天皇よりもずっと年下であるが、一緒に「いくさなきよをあゆみきた」と思うからだ。日本は今後も、戦なき世を歩めるのだろうか。

妻が靖国神社を見たいと言うので、靖国へ行った。ここも2〜3分咲きであった。
びっくりしたのは、露店の多さである。桜の下の宴会が認められている。さすがに本殿近くは禁止されているが。昨年も想ったが、この神社の金もうけ主義はどうも嫌だ。遊就館でとくにそう思った。もっとも戦前の国家護持と違い、戦後は、一般の神社同様の神社なので、金儲けもやむなしかもしれない。しかしそうであったら、あの大扉の菊のご紋章は何だ?おかしいじゃないか。

妻と二人で、本殿前で2礼2拍1礼をした。国家のため犠牲となった人々に対して霊を慰めた。二度とあなた方のような人は出しませんと思いつつ。妻は、本殿を見て、「あれ、何もないじゃない」と言った。国家のために命を捨てた人を神様にしている神社だから、ないはずである。この神社はやはり、家族から親・夫・兄弟・子・孫を取り上げ、死んだら神に仕立てるという、戦争遂行のための潤滑油的機能を果たしたと思う。

靖国神社を出て靖国通りを歩いた。
美しい桜並木である。これまで見た中で一番咲いている。5分咲き以上の木が多い。ここは、日当たりが良いんだろうか。


靖国通りの桜並木

過ぐる戦時、あるいは敗戦後、子を兵士としてなくした親は、この桜を見て何を思ったか。「ありがたや、この神社で神となって祀られている」と思ったか。「神になるより、私のそばにいてほしかった」と思ったか。


3月30日。まずは上野公園。ここも2分〜5分咲き。妻が西郷隆盛を見たいと言うのでいった。あれれ、階段の下にあると思ったが、公園内のはしっこにあった。この西郷も靖国神社は祀っていない。維新の英傑だが、国家への反逆者だからだ。

西郷隆盛

まだ朝なのに、もうすでに桜の木の下はシート取り競争である。新入社員や新入学生かな。それにしては俺たちみたいな年齢の人もいるぞ。
おや、もう出来上がったグループがいる。やるな、と思ったら聞こえてくるのは、中国語か韓国語である。朝から他国の桜の下で酒のんで騒いで。いいねえ。・・・平和である。みんな、日本へ来て大いに飲みかつ楽しめよ。俺たちもそうするぞ。仲良くしようぜ。仲良くはできなくとも、庶民同士は、いがみ合わないことにしようぜ。
国家や政府に騙されないことにしようぜ。庶民同士がいがみ合うことで儲けている連中の
存在を忘れるな。

上野から目黒川の桜を見に行った。JR目黒駅を降り、長い坂を下りていくと、ネット人気ナンバーワンの目黒川沿いの桜並木である。ここも1〜3分咲きである。
残念である。これが7分咲き以上であったら美しかろう。ずっと、遠望できる。


目黒川の桜

このJR目黒駅から目黒川の坂道は、雰囲気いいなあ、昔風である。店もよさそうだ。
こうして旅は終わった。