花に風

満開の桜も散り始め、花びらが流れていきます。この季節、いつも思いだす言葉があります。

「月にむらくも、花に風」です。この言葉は、良いことは続かないという意味なのでしょうけど、あるいは諸行無常という意味なのでしょうけど、「思うに任せない」という意味も、少しはあると思うのです。

思いつくまま、頭に浮かぶことを連想風に書いてみます。

私は、初めて赴任した会津で、この後に続いて「思うに別れ、慕わずに添う」と言う言葉を知りました。
会津の人情の深さを、もろもろの青春の思いでと一緒に、心の奥にしまってあります。

会津ーその頑迷さと純情を、私は愛します。幕末、藩祖の家訓に従い、徳川本家のために京都守護職と言う火中のクリを拾い、戊辰戦争で崩壊した会津藩。その不器用さが私は好きです。

私たちの大学時代、全共闘運動というのがありました。私の理解では、国家権力に対して暴力で抵抗し、大学をまず資本主義の社会から解放し、これを基礎に社会主義の理想を実現するという運動です。私もまた社会主義の理想に共鳴しましたが、国家権力という暴力独占装置に、暴力で対抗するなんて、とても賛成できるものではありませんでした。私は、職に就いた後、職場では社会の理想を追求する(それゆえ反政府的で、少数派)組合に属しました。結果は、大したことはできませんでした。社会主義の実現ということは、自然忘れていきました。ソ連や中国の実態を知るにつけ、社会主義の理想は、人類には無理と思うようになりました。

大学時代の、寮で一緒だった全共闘の先輩は、国立大学の医学部教授となりました。組合で一緒に活動した先輩・後輩の中には、権力側に移り、かなり上まで行った人がいます。彼らは組合運動でも、能力は確かにありましたね。

彼らは、器用なのでしょうね。当時も今も彼らをうらやましいとは、思いません。彼らは、彼らと思います。ただ不思議だなあと思うだけです。その心の動きをです。

すき屋ゼンショーの創設者は、東大全共闘運動に携わった人と聞きます。彼は、企業経営で大成功を収めました。しかし、彼の会社はブラック企業で従業員を大事にせず、世間でたたかれました。おいおい、従業員は搾取の対象かよ。社会主義を一時だけでも理想に思ったことがあるなら、従業員を大事にしろよな。あまりにおかしいだろ。まあ理解出来ませんね。人格崩壊じゃないのですか。

戦前権力側にいて、戦後も権力側に居座った人の心の動きはどうなんでしょうね。たとえば教師。この戦争は正しいと言っていて、
戦争に負ければ、あの戦争は間違っていたと簡単に言えるのでしょうかね。たとえば、政治家。かつての敵国にすり寄り、権力を上り詰める。おいおい、そう簡単に変身できるのかい。

心を思い通りに出来たのかい。それで壊れなかったのかい。

心は思い通りには出来なかったでしょうね。なにせ、満開の桜も風に散りますので。思うに任せないはず、多分。・・・アー良かった。なんとか、話が収まった。