護憲的改憲もあるかもね。

昨日の朝日新聞のオピニヨン欄に中島岳志氏の考えが載っていた。論理的な文章で分かりやすい。一読してなるほどと思うところが多かった。

(1)保守とは、
a、どんな人間も間違う不完全な存在と考える
b、故に人間で構成される社会も不完全、
c、社会には、平和的秩序が必要、
d、このためには、長年の風雪に耐えた経験知が大切、これには、過去の国民も含まれる。現憲法にはこれが含まれる。
f、現憲法を絶対変えてはならぬというのは、憲法制定時の人々を特権化している
g、社会は変わる、平和的秩序を保守するためには、憲法も少しずつ変えるべき
h、自民党憲法草案は、一気に変えると言うもので、保守ではない、左翼的。

(2)9条についての護憲的改憲
i、現憲法の大部分は、変える必要がない。しかし平和と立憲主義を守るためには、9条は変えるべき
j、9条は、自衛隊の規定がなく、自衛隊を縛れていない
k、自衛隊廃止論を取らない限り、解釈改憲をつづけることとなり立憲主義を空洞化する
l、人間は不完全で暴力性を持つ。国際秩序の維持のため、一定の軍事力が必要であるなら、憲法で規定して縛りをかけるべき
m、戦後の日本は、安保条約と9条でバランスととってきた。最後は9条があると言うことで米国にノーをいい、主権を守ってきた。
n、安倍政権でこのバランスは崩れた。となると自衛隊を規定していない9条は弱い。
o、故に、国民的議論の上、9条に自衛隊が出来ること、出来ないことを明文化すべきだ

(3)保守こそリベラル、リベラルの特徴は寛容
p、保守とリベラルの対立というのは、米国的であり、それは例外
q、日本も米国にひきづられ、対立的に考え、リベラルが左派を意味することとなった
r、日本では、保守もリベラル=左派も非寛容
s、日本では、保守もリベラルも自分たちが少数派と思いこみ、その怨恨から攻撃的となっている
t、大事なのは、護憲、改憲ではなく、平和のため憲法をどう考えるかである
u、この静かな日常を次世代に受け渡すため、永遠の微調整を続けるのが、保守である

以下私の感想と意見
○(1)については、gを保留して、他は賛成、納得。
○(3)については、
p、q、r、u、について、保守、リベラル、左派が、どんなものを言うか明示されていないので、なんとも言えない。明示も、大した意味はない。学者の議論のために必要なものと考える。
sは、面白い。そうかもねえ。考える必要あり。
t、は大賛成、その通りと思う。

○(2)について
j、m、n、については全く同意する。kについてはそうかもと半分同意する。oについても半分同意する
lは、○○○ならという仮定法を使っており、非論理的である。この結果、iという結論は、説得力を弱める

○彼の結論であるiを平和を守るためと立憲主義という観点に分けて考える。ただし、平和を支える?安保条約≒≠日米同盟については、中島氏も言及してない(立憲主義についての議論なので当然)ので、私も論外とする。(それでいいか?その議論はそれで可能か?不十分であるのは間違いない)

(あ)平和を守る手段
(甲1)非武装でいく場合の平和と安全を守る方法
国際法(ハーグ陸戦条約=非武装地域を攻撃することは禁止、不戦条約等=侵略禁止、国連憲章=平和的解決の原則)
国際司法裁判所での紛争解決
国際世論=戦争はいやだ、人殺しはいやだ、仲良くしようぜ、戦争で儲けてるやつの策略にのるな、戦争は損。
国連の紛争解決機能
経済的・人的、文化的理解と交流深まり(グローバル経済下、経済断交でさえ無理=戦争はもっと無理、お互い人間・・)
(甲2)武装方式の弱点
原水爆・生物化学兵器SLBM・低空の巡航多弾頭ミサイル・ステルス爆撃機等武器の高度化や都市化・原発存在・高速交通網等・高エネルギ依存の社会での敵方のテロを考えると、自衛隊で財産と人命を守るのは無理

(乙1)非武装方式の弱点
世界大戦や戦後の戦争を見ると国際法は規範力(ルールとして力)がない
国際司法裁判所は、相手も同意しないと裁判が始まらない、強制力も不十分
国際世論には、人間は暴力性を持つ、憎しみを持つ、理性にかける者・国もある。人類の歴史は戦争の歴史、正義は力が担保という、
世論もある。
国連の紛争解決は機能していない
経済的交流の大きい国どうし故の対立もある。異文化の理解は難しい。交流により、馬鹿にしたり、下に見たりすることもある
(乙2)武装方式の弱点への反論
(A)武器の進歩があれば、守ることが可能。
(B)自衛隊は抑止力、足りない部分は米軍で、

思いつくことを並べてみたが、甲1と乙1は、どちらも成立すると判断する。
(A)甲2と乙2について、いくら武器を進歩させても、敵に憎しみを持たれたら、人命と財産を守ることは不可能なんじゃないかと判断する。
(B)抑止力という考えは、軍拡競争を招くと言う危険があるだけでなく、矛盾がある。
抑止力(この場合軍事力による抑止力)は、相手が攻撃してきた場合、もっと激しく攻撃するぞという威嚇で相手の攻撃を防ぐと
言うやり方である。これは相手が理性的判断をすることを前提としている(やったらもっとひどくやられるな、じゃー、やんないでおこうという理性的判断)
ある国・民族・集団が、憎悪を持つ場合、自分に正義があると思いこんだ場合、追い込まれてた場合、あるいはやけっぱちになる場合、相手の強大さを考える理性をうしなう。太平洋戦争は、自分に数倍する米国に戦いを挑んだ。
軍事抑止力という考えは、相手が何してくるかわからないという前提(理性的でない)と相手は強いものにはかかってこない(理性的である)と言う二つの前提の上に立つ。しかし、それは明白に矛盾である。
このように軍事抑止力には矛盾がある。

軍事抑止力は、相手に理性を失わせないとか憎悪を持たせないとか、追い込まないとか、正義があるとか思わせないという条件で成りあつ。このためには、安全保障政策を、外交中心に考えるのは当然であるが、相手に危険を感じさせないことも大切と思う。そのためには、非武装自衛隊解散か、自衛隊は、日本国領域を攻撃された場合のみ戦う(元々の専守防衛)と言うことを明確にすることである。

武装は可能か。
自衛隊解散は、もはや簡単には行かない。端的には数十万の男性の職を奪うからである。自衛隊の職務(何をしてもらうか)を再考すべきである。現在、災害対策部隊・娯楽提供部隊から米軍の一組織に近い任務まで多様な職務になっている。元々の専守防衛は、相手の持つ脅威感を和らげ、相手の理性を失わせる可能性は低い。故に自衛隊の存続及びその軍事的面での任務は専守防衛とすることが良いと考える。その上、非武装方式の方が、より安全かつ安上がりと思われるので、非武装方式を成り立たせるよう努力するのが良いと考える。(どうせ相手の理性を信じなきゃいけないんだから、暴力でない理性を使った非武装方式を成り立たせる努力をするのが正しいと考える)

これをどういう風に達成するか
私は、護憲的改憲論でいえば、憲法前文と憲法9条1・2項をそのままに、第3項に、「非武装を目標に努力するが、当分の間
自衛隊を元々の専守防衛に使う」と規定するのが良いと思っている。つまりは、PKO協力法以前に戻すべきと思う。PKOは、別組織で。周辺事態法以降は、憲法違反を明確にする条文とする。(たとえば、いかなる場合も自衛隊は、海外で活動しないという規定)

自衛隊の任務の変化
1954年から1992年 自衛隊がまったく国内から出られなかった
1992年 自衛隊は、国連PKOとして海外に出られる
1999年 周辺事態法 自衛隊は日本周辺で米軍の後方支援をする
2003年 イラク特措法 臨時的にであるが、復興支援として、イラクのみに決められた期間
2015年 安倍安保法 いつでもどこでも戦う米軍等の後方支援可能、戦う米軍といっしょに戦うこと可能


安倍安保法制も合憲と政権は言う。政権の立場に立てば、憲法9条改正は不必要である。

学者も国民多数も違憲という。故に立憲主義の破壊という。この考えの場合、立憲主義に戻すためには、二つの方法がある。安倍政権を打倒して安倍安保法を廃棄し、内閣の憲法解釈を変更することである。も一つが、憲法自衛隊の任務を書きこむことである(護憲的改憲論)後者の場合、どのように書き込むかという問題となる。この手続きは、国会発議→国民投票なので、各政党に自衛隊をどう使うかを明らかにしてもらい、選挙で出来た国会で発議ということになる。これはあまりに迂遠過ぎる。

立憲主義を守るためには、安倍政権を倒して安倍安保法を廃棄し、内閣の解釈を元に戻すのが簡単である。自衛隊合憲論は、解釈により
成立する。周辺事態法やイラク特措法を私は違憲と考える。違憲か合憲かは、最高裁が判断しない以上、国民が政党への投票を通じて合憲・違憲を決定するほかない。

中島氏の護憲的改憲論は、理屈的に成立する。しかし、どのように自衛隊を規定するかまで踏み込んでおらず、その規定を憲法に成文化する過程を考えると、今安倍政権に壊された立憲主義と平和を失う可能性の増大という危機に役立たない議論である。

すっきり、自公おおさか維新に投票するな、それが立憲主義の回復であると主張すべきなのだ。

尚中島氏は、「安倍氏護憲派も特定の人が正しいものを設計できると言う設計主義という過ちを犯している」という。
氏のいう、護憲的改憲が成立したとしよう。しかし、それでめでたしめでたしとはいかない。それで終わりなら、これも設計主義と言われる。憲法の命ずることを実現するための各人の「不断の努力」(憲法条文)が必要である。今すべき努力は、自公政権打倒である。そうなれば、少なくとも立憲主義はかなり回復される。