戦後日本の達成は素晴らしい、理念は虚妄

昨日に続いて脳内妄想を吐き出しますので、読まないか、笑って無視してください。

今日は早朝4時50分散歩に出ました。昨日は山に向かいましたが(西)、今日は海の方に(東)に向かいます。町の中央を流れる川の土手を歩いていきます。


>昔この川の下流で、シジミを採った。高校生の頃、近所の年下の遊び仲間とだ。自転車で行った。今は舗装されているけど、そのころは砂利道で穴ぼこだらけであった。この川の下流は松川浦に注ぐ。松川浦でも随分釣りをやったなあ。約6キロの砂利道を自転車でいった。俺が釣ったカレイが昼の弁当のおかずになった。ある時ふと悲しさを感じたなあ。釣ったカレイが多分10匹前後。夜食べた残りの一番形のいいのが昼の弁当のおかず。貧乏だったなあ。弁当が麦飯だったのはいつだったか。中学校の給食始まる前だったかなあ。恥ずかしい思いを覚えている。
高度成長時代前期、今より全体がひどく貧乏だった。うちは特に貧乏だった。そのころに比べて、道路・公園・各人の家・食べ物・衣服・家電・通信、娯楽、旅行、衛生・・・今は、ホントにホントに豊かになった。日本は、1960年代末から約40年間、GNP(のちGDP)世界2位を維持した。<


ケーンケーン」オス雉がいます。毎年この時期この河川敷には、オス雉が縄張りを主張しメスを求めて、鳴きます。立派な体型です。色合いも見事!!お、その前をメスが歩いています。地味なそして小柄な体です。


>GNPは、フローだ。ストックはどうか、昨年行ったヨーロッパは、随分昔からの施設がある。大したストックだ。しかし、日本もコンクリートの施設は充実した。数拾年はもつだろう。一応ストックだ。自然はどうか、かなり破壊されたとはいえまだ随分と残っている。第一、雨多く植物が育ちやすい気候は変わらない。これを利用すれば、豊かさが維持できる。はて、こういうのはストックというのかな?分からん。しかし、最低国富とは言うのじゃないかねえ。国の富だろ、水が多いというのも。ヨーロッパじゃ、水を買って飲んだよ。ベルサイユやルーブルでは、さんざん泥棒に気をつけろと言われた。日本じゃあんなことないね。こんな安心感も日本の財産だ。それは、日本が戦後、他国の敵にならなかったという国策も効いている。戦争放棄憲法が効いている。国連分担金等を随分支払った。金だけの国際貢献でもいいじゃないか。世界の紛争にそう出しゃばらなかった。それだって貢献だ。米ソ仏英中なんぞ出しゃばって紛争を大きくした方が多いんじゃか。庶民の幸福にならなかったんじゃないか。金を出して口を出さない、これこそホントの貢献だ。戦後日本は、素晴らしい。軍国主義勢力が、国民を騙して政権を維持してきたとしても、戦後日本の達成は素晴らしい。達成は、彼らの努力じゃない。日本国民の努力のおかげなのである。騙された振りしてたのさ?いや、違うな。あの頃はトリクルダウンが可能だったということだろうね。
安倍政権の政策は、余裕がなくなった時点での、昔ながらの、米英仏露中の、あくどい国々のやり方の、サルまねである。米の尻馬に乗った猿である。<


ケーンケーン」またオス雉がいた。こちらは、あたりをきょろきょろ見渡している。伴侶をまだ見つけ出していないのか。土手の下を何かしゃべるのか歌うのかしながら、道を曲がっていった中年男がいた。変な男だ。おっと、俺も大声で歌いながら散歩することがある。傍から見れば変な男、危ない男だ。


>戦後日本とは何か、様々に言われる。それは、しばしば、その時の現状の解釈に関係し、その後の日本の在り方を構想する基となる。
戦後民主主義は虚妄」と批判された丸山真男は、「大日本帝国が現実とでもいうのか、戦後民主主義の虚妄の方にかける」と言った。
ある理念は、理念のみでは虚妄である。レーニンは、ロシア革命が成った時、雪の中を転げまわって「信じられない」と言ったという(高橋和己「邪宗門」第3部第23章)
ある理念は、それを信じ実現しようとする人間の意思でしか現実にならない。担う人がいなければ現実にならない。しかしながら、
ある理念が現実となって、それが良いことかどうかはまた別問題である。「満蒙は日本の生命線」「大東亜共栄圏」は、どうか。
どちらも大日本帝国を動かした理念である。それを担った人々が広範にいたのである。しかし、両者とも間違いであったのも確かである。いや、嘘だったのである。満蒙のない戦後の発展から言うと「満蒙は生命線」は、間違い、「大東亜共栄圏」は、そもそも、朝鮮台湾を植民地にしていながら言うこと自身が真っ赤なウソだ。間違いと嘘は違うか?・・・うーん、俺の脳みそが悪く、どうにも分からない。<

ケーンケーン」、またオス雉がいた。3匹目である。「俺が今鳴いている、それが現実」とオス雉が言っている。腹が減ったと言うのは現実である。家に帰って朝飯を食おう。