「日本国民は」と「日本国は」の違い

本日の朝日新聞のオピニョン欄に、アメリカ文学者・翻訳家・東大特教授・柴田元幸さんの「英文で読む日本国憲法」と言う記事が載っている。日本国憲法には、日本語の「正文」のほかに、英文版があり、憲法公布のさい、日本政府が発表したものだそうだ。これを知って、私は次のように思った。この国の痛ましさ=悪者即ち加害国日本を示すと。別に日本文だけでいいと思うからだ。
 
憲法は、日本政府と米国政府の、世界へのいいわけと言う面があると思う。天皇制を残しても、決して二度と戦争はしませんよと言ういいわけである。当時日本は、世界から、戦争を仕掛ける危険な国、その柱が天皇制と見られ、「天皇は死刑にしろ」とか、「天皇制は止めろ」と言われていた。それに対する絶対大丈夫です、と言う保証が英文の憲法の同時発表だろう、そんな風に感じた。
もっとも私は、戦後日本国民は、この憲法の理念を守って、自分のものとして、米英ソ仏中より勿論戦前日本より素晴らしい国をつくったと思っている。(GDP、安全、平和、他国に軍事力で迷惑かけない等々)その意味では、戦後日本は、勝者なのだと思っている

さて、柴田さんは、英文の日本国憲法を現代文に翻訳した感想を次のように言う。
(1)英文は、ちょいといい感じ、日本文より分かりやすい
(2)日本文より英文の方が、人々と言う主語が明確である。また、憲法全てに、人々と言う主語が隠れている。戦争を起こさないと決意したのは、人々と言うことが明確である。
(3)前文や9条や97条には、法律文書には普通使われない英語が使われており、特に気合いが入っていると言う感じを受ける。特に97条は熱い。
(4)押し付けと言うは、自分の本意じゃないけれど、アメリカの良いところ、アメリカの理想が入っているという感じを受ける
(5)予見なく、この憲法を一言でいえば、「理想主義的」と言える。「理想主義的」には否定的・肯定的の二つの捉え方があり、私は、肯定的ととらえる

まったく腑に落ちる柴田さんの感想である。憲法前文冒頭の「日本国民は」の原文は、
We Japaneseで、柴田さんは、これを、「私たち日本の人々は」と訳したそうだ。なるほどこれもまた腑に落ちる。「日本国民は」の意味は、「私たち日本の人々は、」という意味だろう。

そこで思い出すのが、自民党憲法草案(2012年4月制定)である。
この憲法の冒頭第一文は、自民案では、「日本国は、・・統治される」である。
憲法は、「日本国民は、・・・・・この憲法を確定する」である

この違いは、ひどくひどく大きい。

大学に入学して、あるサークルに入ったとしよう。

このサークルの決まりに
甲「このサークルは、これこれこういう運営をするものである」という場合と
乙「我々このサークルの会員は、・・・と言う運営のルールを決めた」とある場合を考えよう。

甲の場合、新入会員は、ははあ、この会の運営は、いつか誰かが、偉い人がそう決めたので、俺は口出し出来ないな。そうすると入るか入らないかしか選択の余地はないな、となろう

乙の場合、新入会員は、「ははあ、この会の運営方法内容は、いまいる会員が決めたんだな。あるいは、元いた会員が決めて、いまいる会員がそれでいいやと承認しているんだな。よし俺も入って見よう。うまくないところがあったら、皆を説得して運営のルールを変えればいいや」と考えるだろう。
あなたは、入るとすればどちらのサークルに入りますか?

上の甲が、自民党憲法草案である。
上の乙が、現日本国憲法である。

自民党憲法草案は、日本国はどういう国かということを決めたものを明示していない
一体、誰が決めたんだ、そんなことを。神様でも決めたのかい?
何故、自民案は、日本国民は、と書き出さないんだ。国家のルールは国民が決めるんじゃないのかい。そうか、この自民案の作成に当たったお歴々(改正推進本部と起草委員会=自民有力者全て)は、国民が決めると言うのが嫌いなんだ。自由民主党とは言うが、民主主義なんて嫌いなのだ。

憲法は、日本国民が日本国はどういうものか決めたとしている。これが国民主権というものだ。民主主義というものだ。

思いだそう。大日本帝国憲法冒頭を。

大日本帝国憲法第一条「大日本帝国万世一系天皇これを統治す」

こんなこと誰が決めたの?1889年2月11日、天皇が「おい首相、わしが運営の仕方を決めてやった。これでやれ」ということで憲法となった。そう言う絵があったな。
何故天皇が決めることが出来るの?そのもとに、日本全てを作った神の子孫が天皇で、天皇が日本国のルールを作るのは当然と言う考えがあった。これを時の権力者が、子どもを通じて(教育を支配して)普及させた。そういえば、近頃、安倍自民党は、教育を支配しようとしてないかい?

もっとも、自民案も他の条文から判断して、日本国民がこの憲法を決めたとしか解釈しえないものではある。それは当たりまえだ。国家の運営方法をだれが決めたの?の質問に「国民」以外答えようがないからね。まさか、神様がとか天皇がとか自民がとか言えないものね。

しかし、繰り返すが、自民案は、国民主権を誤魔化そうとしている。少なくとも弱めようとしている。そうでないと言うなら何故、憲法の冒頭文を、「日本国民は」から「日本国は」に変えたんだ。結局、自民党は、民主主義なんて嫌いなんだと思う。

けっして自民党憲法改正をさせちゃいけない。民主主義なんて吹っ飛ぶぞ。

ついでに、も一つ。

柴田さんが英文を読んで、とりわけ気合が入っている、熱いと言っている現憲法97条を、自民案はまったく削除してしまった自民党は、これが大嫌いなのである。

憲法97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」


決して自民党憲法改正させちゃいけない。人権なんてなくなるぞ。