どうして私はデモに行くんだろう

昨日私は、BS朝日ドギュメンタリー「それでも私は、デモに行く」を見た。

(1)中心のテーマは、デモで社会が変わるか、ということだと思った。
面白いテーマではある。田原総一郎は、言った。「60年安保で社会は変わった。デモで内閣が総辞職なんて空前絶後だ。その後の自民党は変わった。憲法改正を言わなくなった。政治から経済へ政権は、大きく舵を切った」と。なるほど、60年安保のデモは、政治を変えたと言える。その結果、政治よりも経済重視の社会に変わったと言える。今に続く「選挙の争点は、経済」と言うにつながるかもね。その60年安保のデモの効き目がなくなったのが、安倍政権の誕生なのかもしれない。そして安倍政権の誕生に対してデモもまた再生してきたのかもしれません。


68年〜70年のデモはどうか。一般学生が離れた後、新左翼内ゲバ・殺人が起こり、それがクローズアップされ、デモは、悪いこと、怖いものと思われるようになったと思う。デモをしない社会をもたらしたと言えそうな気もする。しかし、番組で取り上げたある女性が「やり残したことを今やっている」といったように、60年代末〜70年代初頭の青春を生きた個人の心には大きな影響を今も持つ。それは、埋もれ火のように存在するのではないか。

(2)この番組は、個人が、デモに参加したり、しなかったりする理由は何か、についても興味ぶかい事情を伝えていた。

参加しない理由
有効じゃない」「デモやって終わり」「日本人と合わない」「家族がいるし、仕事もある」
「議論の中にこそ解決はある」「迷惑とか邪魔とか思われてかえって逆効果」「デモで何が変わるのか
疑問だ」「面倒くさい、そこまでやる主張を持ってない。」

参加する理由
「デモやったって何も変わらないと言われたけど、何もせずにはいられない」
「戦争反対と心で考えているだけで何の意思も表明しないでは、無意味」
「子や孫にあのときなんで反対しなかったと言われたくない」
「政治や国家に対して、デモぐらいしか意思を表明する手段がない」
「戦争体験から、孫の代まで平和憲法を守ろうと思って」

それぞれ、どちらの理由も「そうだなあ」とうなずけるものだ。

(3)そら君の行動とスピーチは素晴らしい。
この番組で素晴らしいと思ったのは、そら君でした。
そら君は、「保育士の給料を上げろ」と言うデモを始めた16歳の男子。

「夢かお金かのニ択を迫る社会は変だ。いやだ。そのため、声を上げる。」いいねえ。いい。コールのリードもうまい。
「どうせ社会は変わらない、意味はないとよく言われるけど、僕は変わりました。確かに僕は変わったのです。社会は変わります。
なぜなら僕が変わったからです。そして僕の周りが変わったからです。社会は僕たち一人一人が集まって作っているものなのです。
たった一人の個人の一人として生きていきたい。いや生きていきます」いいねえ。いい。

(4)「高校生未来会議」と言うのがあるのを知った。その代表の斉木某と言う24歳の人が、やや気持ち悪かった。「意見を表明するのは意義がある。しかし路上でデモするのは良くない」「立場の違う人の意見も聞いてじっくり丁寧に議論するのが大事」と言う主張のようだ。丁寧に議論、それは正しい。この人がたちあげて、全県の高校生が集まって話し合いをするのがこの会議なのだそうだ。そのバックには総務省文科省がいる。安倍氏も登場した。まあ投票率向上と言うことでやっているのだろうけどね。それにしても斉木君、どこでじっくり議論できるのでしょうね。国会でさえじっくり議論なんて出来ないのに。君の議論している機会は、文科省総務省が提供したのでしょう。答えはね、シールズの「選挙に行こうデモ」にあると思いますよ。


(5)さて私はどうしてデモに参加するのだろうか。
私ひとりのデモでは何も変わらない、と思う。しかし自分の思うことは、表明しておかなくちゃ。あとで子孫にあの時何してたと言われないように。
デモに参加し、同じ意見の人がいることが心強い。
デモで、今俺は生きていると感じることが出来る。
政治は、大体法律で決まる。法律は国会で決まる。国会は、選挙で決まる。選挙で自分と同じ意見の人を増やすことが必要だ。そのためデモもその一手段と思うから
「自由・人権は日々の努力で守れ」と憲法が言い、デモは、自由人権を守るものであり、それは、人類の進歩の歴史につながると思うから。私もその歴史につながりたいと思うから
自由・人権を守ると言うことは、皆のためになるものなので、公共の福祉のためにもなると思うから。

色々理屈をつけるのが俺の悪いくせ。

なんてったって、意思の表明は大事だ。正しいことなんて簡単にゃ、分からない。なら、自分の意見を言わなくちゃ。