俺たちは、今のところ負けている/ そして原町スタンデイング

菅野完「日本会議の研究」を読んだ。その感想を述べる。
面白くて一気に読んだ。
(1)安倍政権の政治の動きは、日本会議の考えと良く似ており、安倍政権を裏で日本会議が動かしていると思った。ただし、「個人より国家」という政治的信条の部分であり、経済政策は、別なところから影響を受けているのだと思った。

(2)一番なるほどと思ったのは、日本会議の中心部隊が60年代から現在まで、ずっと運動を続けてきたということであるすごいと思った。60年代から70年代のリベラルというか左翼というか、そんな勢力が、変身して既成社会に適応して、社会全体への視点を失い、自分の生活(仕事・マイホーム主義・ニューファミリー)に没頭していったのに反し、かれらは初志貫徹、すごいと思った。

あとがきで言う「やったって意味がない、そんなのは、子供のやることだ、学生じゃあるまいし、・・・と、日本社会がよってたかって散々バカにし、嘲笑し、足蹴にしてきた、デモ・陳情・署名・抗議集会・勉強会といった「民主的な市民運動」をやり続けていたのは、極めて非民主的思想を持った人々だったのだ(注。日本会議の中心メンバー達)」うーん、参りました。敵ながらあっぱれである。60年代・70年代の全共闘・民青・心情左翼・何となく左翼・ノンポリの若者達よ、君たち(俺も含めて)は、今のところ、あの「生長の家」に負けているよ

(2)はじめて聞いた安藤巌という人物、得意な能力があるらしい。菅野完(筆者)が信徒に交じり会場で彼の話を聞いていると、「取材の意図や目的を忘れて、話に引き込まれ、爆笑し、号泣してしまっている自分に気付いた・・・」となるのだそうだ。うーん。ホントに教組だね。彼のマインドコントロールの下に伊藤哲夫安倍晋三のプロモーター、)がいるとしたら、安倍晋三も、安藤の間接的マインドコントロール下にあるかもね。

(3)自民党の国会議員たちは、この日本会議に何故入るのだろう。筆者は、集票力で説明しているけれど、集票力がそんなにあるのだろうか。疑問である。まあ、自民党憲法改正草案を見ると、日本会議の思想と変わらない気がするので入るのは、当たり前か。

(4)日本会議の主要部分が宗教団体で、それぞれ考えが違うのに何故、日本会議に結集できるのか?それが疑問として残った。共通項は「左翼憎し、個人より国家」なのだと思う。安倍一強状態の中、安部ファッシズム政権に対抗して、大同団結しなければならない。民進党、内部抗争してる暇ないぞ増子議員、大きくものを見よ。このままだと次回は落選間違いなしだよ。側近の誰か、そう言ってやれ。当選出来たのが何故か、を普通に考えれば分かるはずだ。

さて今日は、9のつく日、隣町のスタンディングに出かけた。
東北南部も梅雨明けか?暑いなあ。参加者は11名である。都知事選の話が少し出た。
野党統一候補、ダメみたいだ。野党共闘路線が壊れるかもなア。」
「宇都宮が良かったなあ。」
「もっと明朗に鳥越になればよかったのになあ」
「誰でもいいから、勝てる候補がいればなあ」

このメンバーが、昔どういった人たちかは、知らない。この人たちの今もしらない。
しかし俺達は、(俺は多分左かかったノンポリ)、ー総じてリベラルと言っておこうーリベラルは、あの「生長の家」に、政権を牛耳られている。敗れているのだ。あの馬鹿にしていた「生長の家」に。

俺たち年代は、暇と少々の金のあるものは多いと思う。社会全体の動きに背を向け、ひたすら企業戦士・マイホームパパママとして生きてきた我らだが、子育ても終わったろう。家も大概あるだろう。あと残された大きい仕事は、死ぬことだけだ。我ら大抵、戦後日本の恩恵を受けて今がある。「生長の家」は、戦後日本を否定し、戦前に価値を置く。「それは間違いだ」と、そう思うなら、それぞれのやり方で、かの「生長の家」(当時まったく問題にしてなかった勢力)との戦いに復帰しようじゃないか。昔と比べて少し賢く。