アベノミクスはキリギリっス/誠意の人

今日は、朝から涼しい風が吹く。
11時ごろ強い雨になった。しかし、約10分で上がった。干天の慈雨には程遠い。もう何日もまともに雨が降っていない。この間、朝夕小川で水を汲んで畑に運んだ。少し休みたいところだが、作物は休ませてくれない。

地元のスタンディングに参加した。地元のスタンデイングも隣町のスタンデイングも一日も休まず参加してきた。こちらも少々飽きてきたな。
アベノミクスのエンジンを吹かす」と言って参院選に勝利した安倍内閣は、28兆円のガソリンで、エンジンを動かすと言う。民間支援分や財政投融資分なども含めての28兆だから、いまいち実行可能か疑問がある。建設公債も発行すると言う。要は借金である。アベノミクスは、拙ブログ「アベノミクスはうまく行っているか、失敗作か」で述べたように、3年半100兆近い借金をしている。株の高騰、税収の増加という良い面も、借金のおかげである。一方目指すインフレ率%には程遠い。失敗策なのである。それなのに、さらにパワーアップするという。借金がどんなに増えてもやると言うことだ。やるのは、コンクリートの公共事業が中心だ。

この政策で私が連想したことは、「蟻とキリギリス」である。あの有名なイソップ寓話である。暑い夏、汗水流して働く蟻に対して、キリギリスは、楽しく遊んでいる。アベノミクス、「今が良ければ」という享楽的な政策である。やがて冬が来る。ひどい格差と膨大な借金が残る。アベノミクスは、日本国民を、キリギリスにする刹那的享楽的政策である。


上は、今日の私の新作。下は、相馬スタンデイングの様子。一時雨が降り傘をさしてアピール。

将来キリギリスになった日本国民は、生きのびることが出来るのだろうか。ものすごい借金と低成長、そしてコンクリート建造物の維持・撤去が圧迫する。生きのびることが出来るのだろうか。
この寓話には、終わり方が二つある。食べ物を乞うキリギリスに対して、蟻が食べ物を与えずキリギリスが飢え死にすると言う話と蟻が与えてキリギリスが改心すると言う二つである。いずれにしても我々には、蟻はいない。我々が蟻になるしかないのだ

NHKニュースと報道ステーションで、天皇陛下の「生前退位」希望のお言葉を聞いた。
思ったことは、この人は、誠意の人であるということだ。高齢となり仕事がきちんと出来なくなったこと、天皇として死亡した場合、国・国民・家族に迷惑をかけることが生前退位の理由である。なんと誠意のある人だろう。彼の行動の原理は、「天皇は公務員」という意識ではないかと思う。憲法に命じられた仕事を憲法通りに遂行しなけれならぬと言う意識が、彼の行動原理ではないかと思う。その仕事が十分にできなくなったので、(仕事を減らすとか、摂政を置くと言うのではなく)次の代に譲ると言うのは、誠実な人間の当然のありようである。安倍以下多くの政治家が自分の欲望のためには、憲法でさえ無視することに躊躇しないのと対照的である。立派と思う。

天皇を公務員と考えれば、生前退位は当然あっていい。皇室典範は法律であるので、国会で改正すればいいだけの話である。定年制があってもいい。65才以上で、本人が希望して、国会が承認すれば退位を認めると言う決まりで良い。64歳以下でも病気で退位ということもあってよい。現天皇の場合皇室典範で皇太子がいなくなるという問題は、女性天皇を認めればいいだけだ。そうでなくとも皇室典範を変えればいいだけだ。憲法問題なんてあるんだろうか。何か問題があるんだろうか。何故天皇のみ、死ぬまでその仕事に縛らなければならぬのか。絶対おかしいよ。かわいそうだよ。天皇も人間であって、ある特殊な仕事に携わる特殊な公務員と考えればいいのじゃないか。実際そうなのだからねえ。