「日本の憲法は、我々が書いたものだ」と言う米国要人の発言について思う/オリンピック・甲子園大会

表題の発言は、バイデン副大統領の発言である。トランプ候補の「日本も核兵器を持って良い」と言う発言に対する批判である。このことについて感想を述べる。

(1)バイデンの言葉には、上から目線を感じて不愉快である。また事実にも反している。日本についての無知なる発言である。バイデンは、「核兵器を持てない憲法を俺たちが作ったので、日本は持てないのだ、それを忘れるな」と言いたいのだろう。現在核兵器を日本がもたないのは、憲法規範力のためではない。日本が、核兵器を持たないのは、日本政府と日本国民の意思による佐藤栄作内閣の時の「非核三原則」と、それをずっと支持してきた国民の存在である。憲法解釈上では、全ての武器を持てないと言う非武装から、核武装も自衛のためには可能と言う解釈まである。その解釈は、現在、結局のところ国民の選択による。以上の通り、米国の与えた憲法で、日本の核武装が出来ないと言うのは間違いである。ただし、核兵器は、国際法上違法な存在であることは、前のブログで言ったとおりである。違法な核兵器をなくすため、憲法解釈上保有が可能としても、もつべきではないのは当然のことである。勿論国際社会の現実(NPTなど)からも日本の核保有は非現実的である。

(2)バイデンの「我々」について、
我々と言うのが、米国人という一般的な意味なら、それはその通りである。しかし、米国人が作ったと言うことには留保が必要である。現憲法の草案をGHQの一部の人が書いたのは間違いがない。その一部とは、どのような人たちか。実際草案を書いたベアテ=シロタの「1945年のクリスマス」によると、当時は軍人ながら元々は、大学教授レベルの法律専門家達である。(安倍首相の、「米軍人で法律の素人たちが書いた」と言う発言は、認識不足、あるいは意図的な現憲法を落としめるための嘘の宣伝である)彼らが参考にしたのは、米独立宣言・米国憲法、フランス憲法、ワイマール憲法、英国の諸法律、ソ連憲法等々である。批判的に参考にしたのは、大日本帝国憲法である。上述の本の中で、ベアテが東京の廃墟の中を上述の法令を探し回る姿も面白い。さらに、GHQ草案を書いた人々は、理想主義的人々であったことも指摘しておく。彼らはその後米国の方針が変わり、冷遇されたとも聞いている。しかも、現憲法は、GHQの人々も日本の指導者も国民も、いや世界中の人々が、「戦争はごめんだ」と思っていた時に成立したものである。つまりは、戦争は絶対悪と言う雰囲気が強い中で、平和を切実に希望する、民主主義や人権を理想とする人々が書いたものである。バイデンのいう我々には、このような留保が必要である。

(3)バイデンの「憲法を書いたのは我々」の意味するところが、「現憲法が、米国の意思通りのものであり、日本国民意思が反映していない」と言うものなら、それは事実誤認であり、大きな間違いである。鈴木明典日本国憲法を生んだ密室の9日間」には、GHQ草案を書いた人たちが、日本の民間憲法草案を積極的に取り入れたことが描写されている。その一部を紹介しよう。鈴木のインタビューに答えたケーディスの答えについての場面である。>「この憲法研究会案と尾崎行雄の憲懇談会案は、私達にとって大変参考になりました。実際これがなければ、あんなに短い期間に草案を書きあげることは、不可能でした。ここに書かれているいくつかの条項は、そのまま今の憲法の条文になっているものもあれば、いろいろ書きかえられて生き残ったものもたくさんあります」と答えている。ケーデイス氏は、二カ国併記の草案を見ながら、これもそうです、これもそうです、とまったく当然というような口調で私に教えてくれた<(同書P150)また、GHQ草案がそのまま現憲法になったのではないことは、次のことでも明らかである。GHQ草案は、一院制衆議院のみで参議院がない)、衆議院での修正で、9条2項に「前項の目的を達成するため」と言う項目を入れた(芦田修正=これで自衛隊の存在が解釈上可能となった)ことなどで明確である。つまりは、日本国民の意思が現憲法には反映されていたのである。また、当時の国民が、現憲法を支持していたのは、毎日新聞社世論調査で、国民の70%が現憲法を支持していたことでも分かる。

(4)現憲法が占領下のGHQによって作られたと反発する自民党が、日本国民自身の手で書いたと自慢する2012年の日本国憲法改正草案」を是非見てほしい。彼らは、こんなレベルのものしか作れないのである。そうして現日本国憲法と比較してほしい。親切にも比較対照になっている。どちらを選ぶか、是非比較してほしい。

(5)このところ、原爆戦没者慰霊、終戦記念日、「閣僚の靖国参拝」、「核兵器先制不使用」発言、「日本国憲法は米国が書いた」発言、尖閣での中国公船の領海侵犯と重要なことが続々起こっている。それなのに新聞・テレビは、オリンピックや高校野球の報道に一生懸命である。国民がそれに興味を持っているからだろうけど、もっと、政治や外交や安全保障についても報道してほしい。私も福島の聖光学院の活躍やオリンピックの日本選手の活躍に関心をもっている。面白いと思う。体操・柔道・卓球には、特に興味をひかれる。(実はこのブログもオリンピックや高校野球を見ながら書いている。あれー、今聖光学院が負けてしまった。残念)しかし、そればかりに興味を持つだけでは、日本の将来に禍根を残すのではないかと思って、このところ発言している。マスコミは、高校野球・オリンピックが終わったら、日本の将来にかかわることに本気で取り組んでほしい。