(もし、調査の通りなら、)嫌な国だなあ、わが日本(涙・哀・泣)

10月2日日曜日、偶然関口宏サンデーモーニングを見た。そして哀しく絶望的な気持ちになった。それは、最後の「風をよむ」と言うコーナーでの話である。

内容は、「日本国民は、世界の主要国に比べて、他人の生活苦に対して不寛容」と言うことだ。しかもそれがダントツの数値なのだ。不寛容と言う言葉は、当たらないのかもしれない。無関心と言ったらいいか。なんと言ったらいいのか。

米国のシンクタンクの調査で、貧困者を政府が救うべきでない思う人の割合がドイツ・イタリア・中国が8%〜9%なのに対し、日本は38%と言うのだ。自己責任の国、米国の28%を超えていると言うのだ。びっくりした。そしてがっかりして哀しくなった。日本をいやになった。詳しい調査の方法が分からないけど、そしてその調査が2007年と古いのだけれど、そう言う点では、全面的には、信用できないのだけれど、ホントにそうかもなあと思う気持ちも萌す。

と言うのは、番組でも言っていたが、近時NHKで放送された貧困女子高校生へのバッシング、よくある生活保護への冷たい視線・言動を考えると、そうかもなあと思う。相模原の重度身障者大量殺害事件も、社会の「お荷物になっている人は生きる権利がない」という考えの人が起こした。これらの事柄がごく特殊な人の考えだったら、私も日本に絶望はしない。

この調査が2007年のことで、数字的に40%近い人が、貧困者を社会全体で負担するのはいやだと言うのだから、結局ずっと前から、かなり多くの日本人が、「貧困は自分の責任故、苦しもうと知らないよ。自分でどうにかしろよ。社会全体で助ける必要ないよ」「自分は負担したくないよ」との考えと言えそうだ。

もしそうなら、嫌な国だ。わが祖国日本

質問の仕方が問題なのかもしれない。しかし、米国の調査で、同じ内容で聞いているのであり、国別の比較で言うと、2007年時点で、日本国民の中には、貧困者への冷たい視線を持つものが多いというのも事実だろう。

別に考えてみよう。2007年と言えば、第一次安倍内閣で、2001年〜2006年小泉内閣の余波の時である。世の風潮は、「自己責任」であった。イラク人質事件の高遠菜穂子バッシングが思い出される。それから10年、2011年東日本大震災「絆」という言葉が流行した。今調査すれば、違った結果が出るのかもしれない。

しかし、「今が良ければというアベノミクス」、「沖縄差別への国民的無視」、福島原発事故被害への急速な無関心等、弱者への冷たい視線が感じられる。やっぱり、「貧困は自己責任=自分で何とかしろ」と言う国民が多い国と言えそうだ。

また、別に考えてみよう。各国に比べて極端に低いが、この調査でも、60%強の人は、貧困者を政府が救うべきであると考えている。つまりは多くの人は、「貧困は自己責任ばかりが原因ではない」「自己責任が原因の貧困者でも、生存権がある」と考えているということだ。しかしまあ、日本人が、他国より他人に対して親切などとは言えないことは明らかだ。やっぱりがっかりした。

それはそれとして、10月3日のスタンディングの報告をする。この日も娘と孫が参加した。

この日は、何故か車が多く、うまい写真が撮れなかった。ベビーカーのそばに娘と孫がいる。日曜日には、静岡に帰る。


途中で孫は眠ってしまった。この子が大きくなるころ、日本はどうなっているかなあ。殺伐としてなけりゃーいいがな。


今日の私の新作プラカード。下書きなしで思いつくまま書いたので、寸詰まりとなってしまった。
当面は、PKOに派遣される自衛隊の新任務の駆けつけ警護で、自衛隊員が死んだり、他国民・他民族を殺したりする可能性がある。
安保法は、韓国・米軍と北朝鮮の戦争に、日本政府の意思で参加する事が出来るので、北朝鮮国民を殺す可能性がある。勿論安保法で、日本国民を死なす可能性も増大している。

安保法廃棄