私は根っからの自民党員だが、安部暴走政治は止めねばならぬ

昨日、福島地方裁判所の「生業訴訟」の傍聴に行ってきました。

裁判は、原告証人の被害の証言の最後の日でした。合計で38名の証人尋問が行われました。私は傍聴しなかったのですが前回は、被告東電・国側の原告被害者に対する反対尋問がひどかったようです。昨日は、それほどひどいとは感じませんでした。

裁判所へ向かう原告のデモ。左側に見えるのが福島地方裁判所の建物です。皆「生業を返せ」のたすきをかけています。原告証人や弁護士や傍聴人は、見送りの受けてこの建物の2階の203号法廷に向かいます。

4人原告証人が証言台に立ちました。

茨城県牛久市の人は、福島県と同じように被害があったのに、賠償金も謝罪の言葉ももらってないので、この裁判に参加したとのことでした。この人の話で、茨城県や千葉県でもホットスポットは、線量高いのだと改めて認識しました。東電のこの被害の完全無視はひどい。

原町の塗装業の女性は、当時の状況を聞かれて、涙ぐんで言葉に詰まってしまいました。私も当時のことを思い出しました。周りの傍聴席でもうなずくことしきりでした。この人ホントに正直で「こんなこと言っていいのかなあ」なんて言って、裁判官も双方の弁護士も傍聴席も笑いが漏れたこともありました。この人の言葉で印象的だったのは、「皆、(賠償)金をもらうことに貪欲になって、人の心の裏まで見えて、疲れるんだ」という言葉でした。

3人目は、楢葉で蕎麦屋をやっていた人でした。本人と長男・長女が精神的におかしくなった状況がつぶさに分かりました。今もって本人は、楢葉で蕎麦屋を再開したいが、いろんな状況を考えると逡巡すると言う状態だそうです。「原発に汚染された汚泥のある木戸ダムの水を、いくら表面水だから汚染してないと言ったってお客さんに出せない」という言葉が、心に残りました。

最後は、私もよく知っている相馬市の原告団でした。小さなスーパーで魚屋をやっている立場で、原発事故後の苦境をを訴えました。団長は、原告団を代表する立場から国東電側を批判する論を展開しました。ただし、弁護士にあまり言うなと言うくぎを刺されていたのだそうです。被告国側が尋問してくれて、かえって自分の意見を言えたようでした。

全体的に被害の実体を浮き彫りにできていたと思います。それに対して被告国東電側は有効な反論が出来ませんでした。当たり前だと思います。被害があるのですから。

裁判が終わった後の報告会です。弁護団の共同代表の安田弁護士からは「120点の証言」とほめられていました。

今回の裁判傍聴参加で一番印象に残ったのは、このブログの題名の発言でした。裁判所へ向かう前(デモの前)の応援集会での発言でした。発言者は、沖縄県選出衆議院議員中里利信さんです。総選挙で反辺野古基地を旗印に、自民党から共産党までオール沖縄で、自民党を破って当選した一人です。下がデモ隊を前に応援演説をする仲里氏


「私は根っからの自民党員だ。今の自民党は昔の自民党ではない。安倍の使いッぱしりである。麻生のいうごとく、ナチスに近い党となり下がった。今私は自民党から除名されているが、私こそ自民党だ。戦後71年誰も殺しも殺されもしなかった平和国家日本を守らねばならぬ。安倍暴走政治を早く止めさせねばならぬ。日本の誇りである憲法9条を守らねばならぬ。原発被害を受けた福島県民は私から見れば、おとなしすぎる。沖縄も福島の中央政府のひどい仕打ちを受けた。ともに手を携えてこの理不尽な状態を何とかしなければならぬ。良い日本を子孫に残さねばならぬ」

まったくその通り!