株主の責任を問え、相馬スタンデイング

今日の相馬スタンディングには、私も含めて10人が参加しました。

いつもの通り、下校途中の小学一年生が通りかかりました。仲間の一人が、交通指導をかって出ました。

元気がいいねえ。将来の日本は君たちに任せた。勉強してかしこくなれよ。

今日の私のプラカードです。

「今日我々は、戦争放棄の宣言を掲ぐる大旗を翳(かざ)して、国際政局の広漠たる野原を単独で進みゆくのでありますけれども、世界は早晩、戦争の惨禍を自覚し、結局私共と同じ旗を翳して、はるか後方をついてくる時代が現れるでありましょう・・・」
これは、1946年3月27日、幣原喜重郎大東亜戦争調査会第一回総会での演説です。近頃読んだ加藤陽子「戦争まで」に紹介されておりました。戦争放棄は、日本の誇りであると思います。この場合、本来の意味の自衛戦争も否定するかどうかが悩ましい問題です。が少なくとも、安保法制は、否定すべきです。
(再掲)
安保法制は、日本が侵略されてなくとも、米国の戦争に参戦することを可能にした法制です。

スタンディングのメンバー達の会話
「昨日のNHKスペシャル見た」(原発事故負担の特集)
「見た見た。ものすごいカネかかるよね」
「そうだね。やっぱり原発はやめるべきだね」
「それにしても、全ては東電存続が第一だね」
「そうだ」「そうだ」「そうだ」

わたしもまったくそのように思いました
あの特集では、株主の責任と言うのを考えていません。勿論現実の追跡と言うのがこの番組の性格ですから、株主責任が出てこないのは当然です。しかし、現実と言うのは選-択の積み重ねですNHKの計算では、全費用の70%が国民負担と言ってました。原発を全体としては認めてきたのですから、国民にも責任はあります。国民全体が廃炉・賠償・除染に責任を持つのはやむをえません。責任があるのですから。しかし、同時に東電の株主にも責任があると思うのです。持ち続けた人は、無配当の上、株価が下がって含み損を抱えているでしょう。しかし、それだけでは、責任を取ったことにはなりません。株の上昇・下降は当たり前のことです。株主は、事故以前は、大きな配当を長い期間得ていたと思うのです。得は自分のもの、損は、全国民に転嫁と言うのは筋が違うと思うのです。全国民に転嫁するなら、これまでの利益を何らかの形で吐き出すべきと思うのです。
仙石氏は、番組で「東電破産は、面倒で非現実的」と言ってました。しかし、東電破産がどのような困難と混乱と不利益が起きるかを、正直に正確に(完璧にはできないでしょうけど)示して国民に選択してもらうべきでした
ネットでご覧下さい。多くの政治家が東電株を持っていることが分かります。東電存続が株主である自分の利益になるので、東電破産を避けた現在の制度を作ったのだという疑いは消せません。
私は、巨大な混乱があっても、東電破産が良いと思っています。株主免責は、巨大な混乱よりもっとひどい、「倫理の破たん」という悪弊を認めることになると思うのです。